受難記事の長さの違い。その背景には、2つの受難曲の「性格」の違いが存在している。
『マタイによる福音書』は紀元85年ごろに成立。大きなテーマは、イエス・キリストは私たちへの「愛」により、私たちの「罪」を償うために死んだ。その「罪」を再認識して、この世をどう生きるか、ということである。そんな『マタイ』でのイエスは人間的で、受難を前にして苦しんだりする。
一方、紀元100年ごろに成立した『ヨハネによる福音書』は、4つの福音書の中でもっとも新しく、教団が危機にさらされている時に書かれたので、教理を示すことが目的になっており、人間を超えた「主」としてのイエスが強調されている。《ヨハネ》ではイエスの受難は「予言の成就」であり、「勝利」だと位置づけられているのだ。
イエスの「死」のシーンは、両者の違いが現れた好例だ。《マタイ》でのイエスは、「主よ、主よ、なぜ私を見捨てたのですか」と呟いて息絶えるが、《ヨハネ》でのイエスは、超然として「成し遂げられた」と宣言するのである。