徹頭徹尾、作曲家のしもべであろうとした

私個人の感じ方でプレスラーさんの演奏を一言で表現するとすれば、19世紀的なロマンティシズムと、20世紀半ば以降のノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)が高次元で調和された演奏ではなかったかと思っています。

どの演奏録音からも雄弁でとても美しいフレーズを聴くことができますが、それを支える的確な和声の動きやベースラインのリズムの厳格さにも耳を傾けてみてください。

例えば、2013年(90歳)に発売された『ウィーンからの物語』(La Dolce Volta, LDV12)に収録されているベートーヴェンの《バガテル》作品126。第4曲に聴かれるキレのあるリズム感は本当にカッコいい!

ベートーヴェン《バガテル》作品126、第4曲

プレスラーさんご自身は楽譜をバイブルに喩え、徹頭徹尾、作曲家のしもべであろうとしました。その徹底さによって、プレスラーさんの音や音楽は、誰が聴いてもプレスラーさんのそれと認められる唯一無二の個性になったのではないでしょうか。ベタ褒めですね。しかしそのくらい私にとってヒーローでした。

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』こぼれ話

私は幸運なことに、ウィリアム・ブラウン著“Menahem Pressler: Artistry in Piano Teaching”の訳書『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』を音楽之友社から出版することができ、できたてほやほやの本書を携えてプレスラーさんとの夢の初対面を果たすことができました。

サントリーホール室内楽アカデミーの特別ワークショップを終えたプレスラーさんに、この訳書をお渡しした時の興奮は、今でも鮮明に覚えています。

後日のインタビューでも、訳書を中心にそのこぼれ話を色々とお話しくださいました。ハイドン研究の権威から、ハイドンのピアノ・トリオはフォルテピアノで弾かなければならないと言われ、それに異を唱えて、それまであまり勉強していなかったハイドンのトリオを全曲演奏することになった経緯。

プーシキン美術館で開催されていた音楽祭「12月の夕べ」でボザール・トリオとしてしばしば演奏できたのは、かのリヒテルの招聘によるものだったこと。そしてそこで出会ったショスタコーヴィチ夫人へのプレスラーさんのアドヴァイスが、ショスタコーヴィチの作品がヨーロッパに広く普及したきっかけの一つになったことなど。

また、プレスラーさんがこの本に込めた芸術観やピアノ芸術へのこだわりを、日本の読者にも知ってほしいという期待も述べられました。