本作には、教会音楽家バッハの35年の軌跡が詰まっている。というのも、第17曲の〈クルツィフィクス〉は、1714年に作曲された教会カンタータ第12番〈泣き、嘆き、憂い、怯え〉の冒頭合唱曲から転用された、全曲でもっとも古い音楽であり、その前、第16曲の〈エト・インカルナートゥス・エスト〉は、1749年に新たに書き下ろされた、全曲でもっとも新しい音楽なのである。
音楽的にも、モテット(宗教的な内容によるラテン語のポリフォニー曲)風の合唱から、壮麗な協奏フーガ、対位法を極めた緻密な合唱、華やかな装飾を散りばめたアリア、抒情的なメロディに彩られた重唱と実に多彩。1曲1曲の完成度が高く、それが連なる全体は、色や形や大きさの異なる真珠が連なる首飾りのように美しい。
なぜバッハが60歳を超えて「完全ミサ曲」を作曲したのか、本当の理由はわからない。生前に上演された証拠もない。カトリックのドレスデン宮廷での上演を視野に入れていた可能性もあるが、確実なことはわからない。
ただ「ミサ曲」は、特定の祝日に結びついているカンタータや受難曲と違って、いつでも演奏できる、より普遍的な音楽である。ジャンルとしての歴史も長い。カンタータや受難曲は作曲者が亡くなれば基本的に上演されないが(《マタイ受難曲》がいっとき忘れ去られたのもそのためだ)、ミサ曲の方が上演のチャンスはある。特に晩年、集大成的な傾向をますます強めていったバッハが、カトリックやルター派プロテスタントといった枠組みを超えた宗教音楽として《ロ短調》を完成させた可能性も否定できない。