“指揮者をやってみた”60年

14歳の時、未来という海の中から定年のない仕事、自分の個性をすべてプラスに使えそうな仕事、と考えて“指揮者をやってみた”60年だったが、その時には想像もしなかった体力の定年、湧き出るモチベーションやアイディアの定年、というものがあるみたいだ。これは人それぞれなんだろうが今の僕は、これ以上続けるのは欲張りで、若い人が迷惑すると思うのだ。実際、僕の先生たちをそういう目で見ていた自分を知っているのでね。

とくに、僕が若い時に決めたモーツァルトやハイドンをしっかり振れる指揮者になろうという目標は達成したし、その後、現代曲やマーラー、もちろんショスタコーヴィチ、また自分で編み上げたコンサートホールでの本格的なオペラの方法、もちろん、ショスタコーヴィチの15曲のシンフォニーたち、当たり前だけれどベートーヴェンなどはメチャクチャ体力がいる。たくさんチャレンジしてきた変拍子を中心としていた現代曲も。お客さんは僕を見ていて「彼、元気そうだ。まだまだできるのに!」とか言ってくださるが、あれはすべてアドレナリン君の仕事。何千回と生まれて死ぬ演奏を続けてきて、モウタクサンジュウブンなんです。