明後日からどうするの、作曲するの?とか言ってくださる方は本当にありがたいが、僕の「作曲脳力?」なんてたいしたことはない。指揮能力だって僕の先生たち、チェリビダッケ、アバド、ジュリーニ、カラヤン氏たちの足下にも及ばない。みな憧れてその人たちから秘伝を盗み、多少ダンスとハイブリッドして自分化したと思うから、もうほかの指揮者と違う井上道義はできあがったと思う。繰り返しはしない。僕の音楽を育んだ、自分、家族、愛する人たち、戦った人たちに心から感謝をささげたい。余計な迷惑をかけたくない。
僕を育んだドミトリー・ショスタコーヴィチのスコアだが、始めは僕も世界中のほとんどの人と同じように「暗いし長いし失敗した社会主義の音楽」と刷り込まれていた。でも、ある時ひょんなことからそのすべてが間違えだと気づき、一人の人間が本当に心の自由を音にしようとしただけ、家族も理解しない、本当の真実の心の自由はどこにいても、どんな環境にいても書くことができる、という芸術の持つ強い美しさを知ってから、相当のエネルギーをそこに注ぎ込んだ。2007年の日比谷公会堂での「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会」は、今でも昨日のように生きている。
名曲でも楽譜だけでは音さえ発しない。それは材料の提供なのだ。音楽にするのは、その時、そこで、人が、同じ時間を持つときはじめて聞こえてきて、時には奇跡のように空中に城が現出し、聴く人の中に……たぶん……それぞれの持つ理想の時間が形となって現れると思う。
そのためには、時に遠慮は敵になる。時に世の中の常識は蹴散らさねばならぬことさえある。