今人生が終わるとしたらこれでよかったか? と自問して見えてきたもの

13. これまでで最大の試練は?

服部 一昨年の腸閉塞のときですね。慢性盲腸で白血球の値が上がらなくて手術できず、仕事は続けましたが、痛みと食べられない状態が続いて体重も落ちて、ギリギリな状態でした。本番前に楽屋で点滴をしてもらって、点滴を外してドレスを着て舞台に出て、戻ってきてまた点滴をして。さすがに衰弱のほうが危ない状態だと判断して手術したのですが、体重が落ちていたので、全身麻酔が効きすぎて目覚めなかったり、痛み止めのせいで意識障害もあったり。腸が止まっているから栄養がとれず、体重は28キロになっていました。

でも、演奏しているときは、体調のことを全部忘れられました。鍛冶場の馬鹿力でいい演奏ができちゃって、アドレナリンが心地よくて、仕事は絶対にやる! と言っていました。舞台から降りるとしんどくてダメージがきていたので、演奏活動を休むことにしましたが、それはそれで鬱っぽくなってしまいました。

そのとき、今まで歩んできた人生を振り返って見直すきっかけになりました。体重はけっこう危ない状態だったので、もしこれで本当に治らなくて終わるならと、ノートに書きながら「これでよかったですか?」と自問したことがあったんです。そうしたら、ヴァイオリンに関しては、自分の企画もできたし、いろいろな人と交われたし、ブロン先生にも出会えたし、思い残すことなく演奏してきたなって思えたんです。

でも、私って本当にヴァイオリン弾いてるばっかりの人生だったなーと思って(笑)。もっと地球のいろんな場所にヴァイオリンを持たないで旅したり、景色や自然を見たり、成功とか

失敗が関係ないところでぼーっとする時間をもったり、利害関係がない人と人間関係を営んでみたり……そういうことを、保留にしてていつかやればいいやと思ってたけど、全然やってない。もうちょっと、そういう喜びや楽しみを味わってから卒業したいなと思ったんです。

そうしたら俄然、治して生きる方向で頑張ってみるかって自発的に思えました。それからは回復が早くなりました。たくさん食べるように頑張って、ちょっとずつ回復して、歩いたりヴァイオリンを弾いたり。

去年の6月に大好きなショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の1番と2番の演奏会がありましたが、どうしても実現したかったので、夢を叶えるためにも、自分の体力を立て直さないとと思って頑張りました。

それから、行きたいところリストを作って、屋久島とかエジプトとかいろいろ書いて、片っ端から行ってみようと思いました。やってみたかったスキーも、治った2〜3か月後くらいに行き、レッスンを受けてどハマりしました。あとは料理を作るようになったり、ヴァイオリン以外の人間としての生活全般に興味を持つようになったんです。それまでは興味もなくて、必要ないと思っていた。ヴァイオリンだけいい音を保てていたら、それだけのために存在してればいいんじゃないかと思っていたので、それ以外の楽しみや喜びの味わい方がわからなかったんです。それが180度変わったタイミングでもありました。

取材は百音さんの自宅にお邪魔しました。こちらは練習室

14. 音楽家になって幸せを感じることは?

服部 ステージのときの感覚はもちろん幸せですが、いちばん幸せなのはやっぱり、ステージで芯から音楽的に気の合う仲間とプレイしていて、本音同士でやり合っているときですね。舞台の上ならではの感覚で、今どこにいるのかも忘れちゃうくらい恍惚とした気分で弾いているときはあります。

音楽家でも価値観は違うから、何を大事にするか、音楽が持っている力についてどう考えているかは人によってわりと違います。馬が合う人とは、音楽を演奏していないときでも、音楽の話をしょっちゅうすることになります。そうやって音のことを話し合っているときには、時間を忘れているから幸せなんだと思います。

ブロン先生時代の兄弟子たちとも幸せな時間を過ごしました。ブロン門下は音楽人間で、先生も隙あらば練習しなさいと言うんです。ファストフードだめ、タバコダメ、お酒ダメ、恋愛ダメ、練習しなさいなんですよ。だからみんな、遊ぶっていうと楽器で遊んでいました。

あるとき、本番が終わってホテルで打ち上げをしていたとき、みんなで楽器を出してきて、じゃあ今からモーツァルト風とか、ベートーヴェン風とか、作曲家のお題を出して、彼らの作風や癖みたいなものを真似しながらモチーフをみんなでリレーで繋いでいくゲームをしました。歳の差も言葉も関係ないし、みんなで遊べるからって。「じゃあ次はブロン」っていうお題が出て、ブロン先生の独特の音の出し方や極端な音程の取り方をみんなで真似しました。最後に先生のお決まりのツッコミのセリフをみんな覚えているから、そのセリフも真似して(笑)。そういう仲間たちと話していると安らぎます。

たくさんの思い出が詰まった百音さんのヴァイオリンケース

15. 音楽家として大切にしていることは?

服部 何回も同じ曲を弾くことになるので、回数を重ねても、惰性で流れで弾いてこなすようなやり方ではなく、毎回今携わっている音楽のことを新鮮に愛せたらいいなと思っています。

繰り返し演奏してきた作品って、20年来の良いところも悪いところも知り尽くしている人のようなものじゃないですか。初めて魅力を知ったときの喜びや新鮮さをもって、毎回対峙する。いちばん難しいことでもありますが、できたら素敵で、やらなきゃいけないことでもあります。

16. 10年後の音楽界がどうなっていてほしい?

服部 もっといろんな種類のいろんなアプローチの音楽が、いろんな人に知られて、愛されるっていう状態が理想だなと思います。今はチャイコフスキーやメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」とかエルガーの《愛の挨拶》がクラシックの顔であり、ヴァイオリンの曲の良さみたいになっているけど、その曲を名曲にしたのは何ですか? っていうと、いい演奏を積み上げたからその曲が魅力的だと認知されて名曲になったわけですよね。作曲されてすぐに名曲だってカテゴライズされるわけではないから、名曲にするのは演奏家。チャイコフスキーだって、最初は悪臭を放つ音楽と言われていたのに、あれだけの名演が積み重なって今スタンダードになったわけです。だったら今、同じことを他の曲でもしたら、スタンダードのカラーパレットが増えるかもしれない。

だから私は、Storiaという自分の企画で、知名度や曲が持っている話題性に頼らないで、音楽の魅力だけで、いろんな面白い曲、マイナーだろうが関係なくバイアスをとったプログラムにして、絶対に面白くしようと思っています。そういうのを積み上げて、1人でも多くの人にその意識を共有して、開墾作業できたらいいなと思います。

17. 衣裳へのこだわりは?

服部 さっき人の演奏が色で見えるって言ったんですけど、実は小さいときから文字と数字が色で見えます。曲の印象でも、調性やドレミファソラシにも色があって、それを曲の雰囲気に変換して、同じまたは近い色のドレスを選択しがちです。

例えば、ドが黒で、レが黄緑で、ミが黄色。数字も、1が白で2が黄色で3黄緑。日付や年齢、誕生日も、それぞれの数字をもとにしたイメージカラーがあります。

18. 1日に何時間くらい練習する?

服部 決めてないですね……病気や腱鞘炎を経て、ただがむしゃらに弾けばいいってことではないという結論に至りました。スポーツの分野では、力を入れるときと休むときの配分を可視化して数値にして、システム化されているけど、クラシックも肉体労働なのに、そういうシステムは全然導入されていないから、自分の体感で測るしかないですよね。なので、集中的に練習したら、ちゃんと回復する時間を与えないと致命傷になりかねないので、腕を守りつつやっています。

かといって精度やクオリティやスピードが落ちるわけではなく、効率はむしろ上がっているんですよ。疲労って見えないけど確実に溜まっているから、たまると精度が落ちてくる。鈍ったと思ってまたさらうとまた感覚が落ちる。オーバートレーニング症候群っていうらしいです。それになってたことがあるので、やめようと思って。ちょっと休む、全然違うことをする、散歩に出かけるなどして、腕を休めてからまた戻る。さらったぶん上がった状態で練習を再開できるので、効率いいなと思います。