――クィアという言葉が、かつての差別的なニュアンスから、自らを励ます意味へと変化しているのですね。向井さんは、成長の過程でいつ頃からご自身をそう認識し、肯定できるようになったのでしょうか。
向井 物心ついた時から、自分は男性が好きで、ちょっと違うぞ、という感覚はありました。でも、それが普通ではないと思っていたので、家族にも誰にもカミングアウトせずに日本で暮らしていました。恥ずかしいことだと思っていたんです。私が思春期を迎えた頃は、同性愛者への差別的な言葉がコメディのジョークとして使われるような時代でしたから。人に言うことでもないし、言っても周りの偏見に遭うのが嫌でした。
転機は23歳になった2016年、ドイツに留学したことです。そこではクィアな人たちが自然に受け入れられている環境を目の当たりにしました。私はテクノが好きで、ドイツでクラブカルチャーに出会ったんです。クィアのパーティーで、いろんな人と一緒に踊る。そこで流れている音楽は、レディー・ガガやマドンナのように、人を励ます力強いメッセージを持つものが多かった。そうした中で、自分がだんだん変化していきました。
それでもまだ、日本ではオープンにするつもりはなかった。作品の中に誰にも分からない形でクィアなメッセージを込めることはあっても。なんだかショスタコーヴィチみたいですけど(笑)、誰か気づいてくれたらいいな、という感じでした。
決定的な契機はコロナ禍です。演奏会がすべて延期になり、家で論文を読んだりする時間が増えました。その中でドラァグのカルチャーにすごくハマって、自分でもやってみようと思ったんです。
――ドラァグというのは、クスリのことじゃなくて、向井さんのサイトのトップ画像のような、白塗りのド派手な感じのメイクに象徴されるような……
向井 あれは友人のドラァグクィーン、モチェ・レ・サンドリヨンさん(1999年生まれ、ドラァグ・パフォーマー/現代美術作家)にメイクしてもらったものです。自分で始めた頃のメイクは見せられたものじゃないですけど(笑)。
ドラァグは、単なる女装とは違います。女装は海外では「クロスドレッサー」と言われ、ドラァグはもっとパフォーマティヴなものです。女性性を誇張して遊ぶようなカルチャーで、女性が女性のドラァグをやることもあります。もちろん、クィアカルチャーであったがゆえに、当事者でない人がやることには文化盗用の問題も指摘されますが、個人的には文化へのリスペクトがあればいいと思っています。
そうしたカルチャーに浸っていく中で、その力強さに触れ、勇気づけられました。そこで自分の作品のキーワードとして「エンパワーメント(自分を満たす力)」が浮かび上がり、そういう作品を書きたいと。
2022年に作曲した《ダンシング・クィア~オーケストラのための》(第33回芥川也寸志サントリー作曲賞受賞作)で自分のセクシャリティをすべてオープンにし、生き様を晒すような作品をライフワークの一つにしようと決めたんです。
▼向井航《ダンシング・クィア~オーケストラのための》
――2016年のドイツ留学と、コロナ禍での実践が大きな転機だったのですね。現在は日本に拠点を移されたのですか?
向井 今年の4月から半分、拠点を日本に移しました。いま東京藝術大学の先端芸術表現科という、美術の方の博士課程に在籍しています。
――音楽ではなく美術の科に進まれたのはなぜですか?
向井 クィアと作曲技法の関係を研究する上で、自分のやっていることは音楽だけでなく、シアターやパフォーマンスなど、もっとジャンルを横断したものだと感じたからです。先端芸術表現科は、音楽も含めた美術として、パフォーマンスアートも研究できる場所だったので。今も研究の一部はドイツに関係するので、日本と行き来しています。