――クィアやパンクといったテーマは、演劇やロック、ダンスミュージックにはふさわしいですが、なぜエリート的なメインカルチャーの側にあるクラシック、しかも現代音楽をあえて選ぶのでしょうか。
向井 まず、私自身は音楽をすごくフラットに考えています。クラシックのコンサートよりテクノを聴きに行く方が多いかもしれません。クィアが既存の規範に挑戦し、転覆させ、遊ぶものであるならば、現代音楽という「権威」に正面からパンクな態度でぶつかっていくことに意味があると思っています。
サブカルチャーでそれをやってもカッコいいですが、クラシック音楽という集積された「知」、ラッヘンマンのような素晴らしい作曲家たちが築いてきたいわゆる「現代音楽」の型や枠を、パンクの態度でぶち壊したい。
それに、純粋にオーケストラというメディアが大好きなんです。自分が慣れ親しんできたオーケストラを使ってパンクな表現をする方が、今からロックを勉強してやるよりも、よっぽどパンクだと思っています。
――影響を受けた作曲家は?
向井 プロコフィエフやストラヴィンスキーが大好きです。そして、芥川也寸志さんにもすごく影響を受けています。芥川さんの「リズムのない音楽は死んでいる」という言葉を見たことがありますが、彼の作品にある強いリズム感、ビート感に惹かれます。クラブミュージックの繰り返されるビートの中で起こることと通じるエネルギーを感じるんです。
小さい頃から彼らの音楽を聴いて、作曲家になると決めていました。一度だけ、高校生の時にジャズにハマった時期はありましたが。地元の富士市のライブハウス(Live Jazzケルン)でジャムセッションにピアノで参加したりしてました。インプロヴィゼーション的な感覚、つまりガチガチに計算せず余白を残して作曲する姿勢は、その時の経験から繋がっていると思います。
――今回の《クィーン》にも余白が?
向井 はい。たとえばドラムパートは、基本的なリズムは書いてありますが、「奏者の手癖で自由に変えて構いません」と但し書きを入れました。楽譜でガチガチに縛ると、パンクやヒップホップの勢いが失われてしまう。ドラムの小田桐さんに、その場のフィーリングで叩いてもらうことで、余白を残しています。
トーマス・アデス(1971年生まれの英国の作曲家)も大好きで、彼の音楽がクラブミュージックを引用していたのを聴いて、「アデスがやっているならアリだ」とすごく勇気づけられました。