ところで、ネルソンスの初期のキャリアは、故郷リガにあるラトビア国立歌劇場の音楽監督である。2003年9月、まだ24歳のときのことだ。
バルト三国のひとつラトビアは、指揮者マリス・ヤンソンス、ヴァイオリニストのギドン・クレーメル、チェリストのミッシャ・マイスキー、メゾソプラノのエリーナ・ガランチャなど、数多くの著名な音楽家を輩出していることでも知られる。
ちなみにラトビアの首都リガの中心部には、独立の象徴として「自由の記念碑」(高さ42メートル)が建てられているが、その根元の部分には歌う人々の姿が刻まれている。
そんな「合唱王国」として知られるラトビアの出身であることは、ネルソンスの音楽作りにどんな影響を与えているのだろうか?
「ラトビアには確かに、長く続く合唱音楽の伝統があります。私の両親ともリガで合唱団に所属しており、そのことが私の音楽に対する理解を方向づけたことは間違いありません。
合唱とは、まるで魔法のようなものです。そしてそれは、個々人が共通の目的に向かって力を合わせるときに得られる美の、素晴らしい一例であると言えます」
ネルソンスが合唱をルーツとし、20代からオペラで実績を積んできたことは、日頃はほぼウィーン国立歌劇場管弦楽団としてオペラを演奏しているウィーン・フィルのメンバーからすれば、大きなプラスの要素であることは間違いない。
▼アンドリス・ネルソンス&ウィーン・フィル「ニューイヤー・コンサート2020」