——なぜフィンランドのオーケストラに入ろうと思ったのでしょうか?

窪田 私はスイスとドイツに留学しましたが、それ以前にフィンランドで勉強したいと思っていた時期がありました。フィンランド人の知り合いから仕事の様子を聞き、興味を持っていたというのが理由です。

ルガーノで修士課程の2年目が終わるタイミングで募集が出たのでオーディションに挑戦し、運よく採用されました。ソロの演奏や室内楽が好きな私にとっては、現代音楽が頻繁に演奏される点も魅力でした。

フィンランドやお隣のエストニアは優秀な指揮者を多く輩出していて、クオピオに客演する指揮者たちも素晴らしいです。日本で知られた指揮者では、かつてはサッシャ・ゲッツェルが首席指揮者を務めており、名誉指揮者は名教師と言われるヨルマ・パヌラ。御年92歳ですが、彼の指揮から私はたくさんのことを学びました。今年の9月からはユージン・ツィガーンが首席指揮者に就任します。近年売れっ子のクラウス・マケラなども何度か客演していますよ。

——楽団員とのコミュニケーションは何語でされていますか?

窪田 フィンランド語と英語です。ドイツ留学組やイタリア語圏の出身者、ロシア人なども多いので、コーヒー室ではさまざまな言語が飛び交っています。

クオピオ市内の様子。
穏やかな湖が広がっている。

フィンランドの休暇事情とじっくり丁寧なコミュニケーション

——お国柄を感じたエピソードや日本とは違うなぁと感じる点を教えてください。

窪田 入団して一番驚いたのは、団員たちが歯医者の予約や子どもの熱を理由にオーケストラのリハーサルを休むこと。フィンランドはウェルビーイングを大切にする社会なので、仕事が健康に優先されることはありません。

有給が多いのもフィンランドの特徴で、夏休みが2か月間、クリスマス休みが半月、そしてスキー休みという1週間の春休暇があります。フィンランド人の団員たちは「冬が厳しいから長い休暇が必要なんだ」と言っています。羨ましいと思われるかもしれませんが、日本人の私にとって長すぎる休みは馴染めない文化のひとつで、落ち着いていられないので、音楽祭に出演したり他の海外のオーケストラへ働きに出かけてしまいます。

では、当のフィンランド人たちは休みに何をしているかというと、仕事以外の活動に本気で取り組みます。ある人はトライアスロン、ある人はヨットで大海原に出かけたりと実に様々。次第にホリデイというのは、しっかり予定を立てて職場以外で努力をする、仕事とは異なる種類の経済活動のためにあるんだと理解するに至りました。

自然豊かなクオピオ。

——「この国に来てよかった!」と感じるのはどんなときですか?

窪田 やりたいことをさせてもらるとき、言いたいことを言わせてもらえるときです。2019年にアマゾンの森林火災があった際には、アイデアを出すと友人たちが助けてくれ、募金コンサートを開催しました。国籍や考えの違う人たちとしぶとく付き合わねばならない場面が多いですが、そういう厄介なときにこそ、私はこの国に来てよかったと感じます。どのような意見もまず周囲に一旦聞いてもらえて、そこからコミュニケーションが始まる。初めはバイアスの入った考え方も、周囲の他の考えに囲まれ、だんだん澄んだものになっていくのです。

今は非常に複雑な時代ですが、このオーケストラの人たちは、さまざまな国籍の団員たちと長い時間コミュニケーションを重ねることで、ある程度正確に世の中の現実的側面を把握し、それに対してオーケストラはどうあるべきかということを常に考えることができています。

現実的側面とは、一人ひとりが頭を振り絞って良かれと思って動いているけれど、良いことも悪いこともそこから起こるというようなことです。

反対意見も他者へのリスペクト! オーディションでは公平性を大切に

——これまでに一番カルチャーショックだったことはなんですか?

窪田 仲の良い友人が、会議で自分の意見に賛同してくれないことです。同じようなことが日本で起きれば「裏切られた」と感じる人もいるでしょう。フィンランドでは反対意見を示すことも他者へのリスペクトのひとつ。リハーサルでも質問・疑義・苦情は飛びかいますが、もしそういった要求が一切来なくなったら、周りからその腕や人間性を信用されなくなってきていると考えて良いでしょう。サヴォ地方には「言葉は発する側ではなく、常に受け取る側に責任がある」という諺があります、皆冗談でよく口にしています。

また、このオーケストラは公平性をとても大切にしています。オーディションは必ずカーテン審査で始まり、床には女性のヒールの足音を消すためにカーペットが敷かれます。応募者に団員の家族がいる場合、審査には参加できません。コンサート後も毎回指揮者を採点し、次回招致の参考にします。首席指揮者選びやオーディションは、多くの人が政治的に動き常に議論は加熱します。皆、このオーケストラをどうしたいかがはっきりしているのです。

先日、ある友人と会議で口論に近い状態になりましたが、次の日には仲直りしてふたりで仲良くケーキを食べました。こういうところはヨーロッパに来て自分も随分変わってきたなぁと感じています。

——今のオーケストラで一番思い出に残っている演奏会や曲目を教えてください。

窪田 ありきたりの名演自慢では面白くないので、一生忘れられない“ひどい”思い出を一つ。10年近く前、エラケライセットというバンドの伴奏をさせられたときのことです。フィンランドにはフンパという、酒場で踊るための2拍子の音楽があり、彼らはフンパを濁声で歌う酔っ払い向けの人気バンドでした。当時クオピオのオーケストラは金欠で、こうしたバンドとの共演依頼も引き受けていました。そのバンドがオーケストラとの共演の最中、こともあろうか突然自分たちのキーボードを叩き割るパフォーマンスを始めたのです。楽器の破片がオーケストラに飛び散り、酔っ払いの客たちも興奮し、ホール内を大挙して暴れ回りました。何人かの団員は舞台上で泣き始め、その光景はクラシック演奏家の誰一人として体験したことのないような地獄絵図でしたよ(笑)。この国はヘビーメタルやスタンドアップコメディもさかんなので、最近は彼らの過激な音楽やブラックジョークも文化のひとつとして、自分の中で消化できつつあります。

そういった時期を経て、これではいかんと団員同士手を取り合い、コロナも乗り越え、今のオーケストラがあります。近年はプログラムや指揮者も充実し、演奏レベルはかつてとは見違えるようになりました。特に現在の木管セクションのサウンドが私は大好きです。優秀な若手も増え、つい数年前に契約団員として在籍していたホルンの団員はこの間ベルリン・フィルに入団しました。先週、ルモン・ガンバの指揮でオウル交響楽団と合同で春の祭典を演奏しましたが、長年の成長を感じられる、感慨深いコンサートでした。

——おすすめのローカルフードがあれば教えてください。

窪田 クオピオは食文化豊かな土地で、2020年にはヨーロッパ美食都市に選ばれました。湖で取れる魚や森でとれるキノコ、ブルーベリー、狩猟肉などたくさんの美味しい食べ物があり、私も釣りをしたりきのこ狩りをしたりします。

地元のレストランもとても充実しています。ローカルフードのひとつはムイックという魚で、鰯のようなサイズの淡水魚ですが、フライにしたりスープにしたりして提供されます。

湖の淡水魚ムイックのスープ

クオピオのもっとも有名な郷土料理は、カラクッコというライ麦パンの中に魚が詰まったもので、フィンランドの珍味と言えるでしょう。

カラクッコ

街中にあるサンポという名のムイックレストランは、シベリウスもよく通っていたそうで、店内に飾られた絵の隅に彼がタバコによって開けてしまったという穴があります。

シベリウスが開けてしまった穴。
ONTOMO編集部
ONTOMO編集部

東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...