——「この国に来てよかった!」と感じるのはどんなときですか?
岡島 今まで知らなかったこと、関心がなかったことに興味が持てたこと、見聞が深まったことです。
エジプトは西洋音楽とは程遠い文化圏に思われる方も少なくないようですが、西洋音楽との繋がりは実に深いものです。
オーストリアの作曲家モーツァルトのオペラ《魔笛》はエジプトが舞台。ヨハン・シュトラウス2世には《エジプト行進曲》という作品があります。フランスの作曲家サン=サーンスは何度もエジプトを訪れ、スエズ運河開通にあたっては《東洋と西洋》という行進曲を残しています(スエズ運河の開通によって東洋と西洋が結ばれたことに起因する)。
ヨハン・シュトラウス2世:《エジプト行進曲》、サン=サーンス《東洋と西洋》
岡島 またイタリアの作曲家ヴェルディによるオペラ《アイーダ》は、時のエジプト総督イスマイール・パシャによってスエズ開通を記念して建設されたカイロオペラハウスの杮落としのために委嘱された作品です(《アイーダ》は杮落としには間に合わず、かわりに《リゴレット》を上演。このオペラハウスは1971年、火災により全焼)。
その数年後には、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスがエジプトを旅行。後年、オペラ《エジプトのヘレナ》を発表しました。滞在中に訪れた温泉保養地が気に入り、当時ベルリンで病床にあった指揮者ハンス・フォン・ビューローにエジプトでの療養を強く勧めました。残念ながらビューローはカイロに着いた数日後、温泉につかる前にこの世を去っています。
リヒャルト・シュトラウス:《エジプトのヘレナ》
20世紀に入ると作曲家パウル・ヒンデミットがカイロで開催され た国際民俗音楽会議に招聘されアラブ音楽の作曲家、奏者らと交流し、その音楽技法をヨーロッパに広く紹介することになります。
エジプト考古学にはあまり興味がありませんが、音楽史と関わりのあるエジプト近現代史についてはこれからもっと掘り下げていきたいと思っています。
——今のオーケストラで一番思い出に残っている演奏会や曲目を教えてください。
岡島 所属先のカイロ交響楽団でのことではないのですが、昨年12月末にエキストラとして演奏しに行ったバレエ公演『くるみ割り人形』がエジプト生活16年の音楽生活で最も印象的なものとなりました。
ゲネプロ当日にお呼びがかかり公演5日間と急すぎる上に連日公演。その3日目の公演でした。第2幕が始まって少し過ぎた頃にステージ上から衝撃音が聞こえたかと思った次の瞬間、オーケストラピットにいた私に黒い大きな物体が飛んできたのです。何が起きたのかすぐにはわかりませんでした。演奏も止まりました。目の前に転がったのは舞台上に吊るされていたであろう照明装置。楽器は激しく凹み、あちこち歪み、おまけに腕が痛くて痺れます。指も動かないのです。
わずかな中断の後、演奏は再開し公演は進みます。ですが私はすぐにオーケストラピットを出て楽器と怪我の確認です。続行できる状態ではありません。楽器はなんとか音は出せそうで腕と指の痛みと痺れも落ち着いてきたので2幕中盤の「花のワルツ」からオーケストラピットに戻りました。もしも私が数10センチ程座っていた位置が違えば頭に当たっていたかもしれない大惨事。補償問題はまだ決着しておらず、演奏の出演料もまだいただけていないので散々な公演でした。エジプトにはまともな楽器修理職人はいませんので困ったものです。