砂糖入り紅茶と産業革命

父レオポルト・モーツァルトは、産業革命を迎えようとしていたロンドンをありありと、その「リアル」な空気を手紙に表してくれました。まさに賛辞の言葉を贈りたいところです。

実際、産業革命時の大英帝国の民衆の食生活は変化していきました。かつて、オートミールと牛乳、チーズ、パンなどを主体としていた食事から紅茶、砂糖、バター、パンの生活へと転換していったのです。

レオポルトがロンドンで味わった紅茶はとてつもなく濃いもので、牛乳かクリームを注いだミルクティーにして飲んでいました。砂糖は単独で、バターとパンがセットで出されたことも手紙から読み取れます。

もし、砂糖と紅茶がセットになっていれば、産業革命真っただ中のイギリス民衆の食生活が味わえていたと思われます。当時、イギリスの民衆は産業革命のオートメーション化に即した合理的な食事を摂り始めていたので、紅茶と砂糖もセットにして「摂取」していたのでした。

フランスの貴族のサロンで演奏するモーツァルト。人生のおよそ3分の1を旅行に費やしてヨーロッパの各宮廷を訪れていたモーツァルトは、庶民の立場から貴族の料理を体感していました。

お酒はいくつになってから?

レオポルト・モーツァルトの1764年6月28日のロンドンからの手紙の証言が本当ならば、8歳のモーツァルトは、フィレンツェワインを水に入れて飲んでいます。

実は15世紀ごろの中世後期のヨーロッパの世界では、5歳ぐらいからパンと一緒にアルコール度1〜2%程度のドリンクを飲んでいた地域がけっこうありました。その名残でしょうか。モーツァルト父子が遠征した1760年代のロンドンでも、15世紀のヨーロッパの状況と同様に、かなり低い年齢からアルコールをたしなむ文化があったようです。

ほかにも、例えばドイツやオーストリアなど、18世紀当時の神聖ローマ帝国下では、ビールが基礎栄養食品の一つに挙げられていました。フリードリヒ2世に代表される歴代のプロイセン王たちも、離乳食がわりにビアズッペ(ビールスープのこと)を味わっていたと言われています。

当時のヨーロッパ全般に言えることですが、品質のいい水がなかなか得られない状況にあったため、アルコール飲料がその代替手段として飲まれることが多かったのです。