過酷なイタリア旅行を支えた食事

さて、モーツァルトにとって、思い出深い食のエピソードがあります。1769年12月から1771年3月(モーツァルト13~15歳)の長期にかけて、モーツァルト親子は最初のイタリア旅行を敢行します。チロル地方からミラノ、ローマ、ナポリと経由して一旦ローマに戻り、フィレンツェ、ボローニャ、ミラノ、ヴェネツィアを抜けてザルツブルクに戻る行程でした。その中でナポリからローマに戻った際の食事情について、父レオポルトがザルツブルクにいる妻アンナ・マリア・モーツァルトへの手紙に書き記しています。

レオポルトの妻であり、ヴォルフガングの母、アンナ・マリア・モーツァルトの肖像画

1770年6月26日、ナポリから駅馬車を使って27時間かけてローマに戻ってきたモーツァルト親子。彼らのこの移動はなかなか過酷なものでした。睡眠時間はわずか2時間、馬車の中で食したものは、鶏の焼肉を4個とパン一片だけでした。結局、ヴォルフガングはローマの宿に着くや否や、安楽椅子に坐り込み、そのままぐっすり眠ってしまったそうです。

そんなナポリからローマの車中で食べた思い出深い鶏のローストを再現します。モーツァルト親子がイタリア旅行をした頃、ヴィンチェンツォ・コルラードというナポリの宮廷で活躍した偉大な料理人がいました。コルラードが1773年に著したナポリの料理書『優雅な料理人』には、焼いた鶏肉の料理が載っています。

 

『優雅な料理人』(1773)に掲載されているコルラードの肖像画

去勢鶏肉をよく熟成させ、油とレモン汁、スパイス類に漬け込む。ウナギの肉と魚介類も漬けるにあたってはまずスパイス類をあしらうのだが、そこで使うのはフェンネルシード、レモン汁、ローリエ。串に刺して焼き、ケッパーソースを添えて出す。

(ヴィンチェンツォ・コルラード『優雅な料理人』)

去勢鶏肉とウナギの肉と魚介類を一緒にレモンスパイスソースに漬け込むという興味深いレシピです。このレシピから鶏肉の要素のみを抽出して作ってみましょう。

まず、上記のレシピを読んでみると、驚くべきことに塩を加えていません。18世紀の料理書には時々、塩漬け肉の使用を想定しているのでしょうか、塩の指定をしていないレシピが見受けられます。バッハの生きた時代のライプツィヒの料理書(1745年刊行)でも、塩を加えないで牛肉を煮込んだレシピなどが確認できるのです。今回も鶏肉に塩をふりかけたい気持ちを抑え、原典準拠で作ってみることにしましょう。

続いて、具体的なスパイス類がフェンネルシードとローリエのみとなっています。レシピには「スパイス類に漬け込む」とあるので、この料理書に登場するスパイス類であるローリエ、バジル、ローズマリー、ミント、ナツメグを加えてみましょう。

18世紀のナポリ宮廷で一般的に使用されているスパイス類が判明したので、その意味でも貴重な料理書と言っていいでしょう。

なお、現代のナポリ料理でもフェンネルは生で使用されることが多いので、歴史の積み重ねを感じます。ただし、この18世紀の料理書である『優雅な料理人』ではフェンネル「シード」を使うように限定されているので、ナポリの歴史料理と現代料理のわずかな差異を感じずにはいられません。

このナポリ風鶏のローストを味わいながら、モーツァルト親子は、過酷な馬車旅行をたくましく過ごしていったのでした。

【音メシ!モーツァルトの食卓】18世紀ナポリ風鶏肉のロースト

 

【材料】(4人分)

鶏もも肉     1kg

オリーブオイル    30ml(大さじ2)

レモン果汁        大さじ1

ローリエ            4枚

ローズマリー      2本

ミント      1枝

ナツメグ粉   小さじ1/2

バジル粉   小さじ1/2

フェンネルシード   小さじ1/2

ケッパー                小さじ1

 

【作り方】

1.ボウルにオリーブオイル25ml、レモン果汁、ローリエ、ローズマリー、ミント、ナツメグ粉、バジル粉を入れて混ぜ合わせ、バットに置いた鶏もも肉の両面に塗る。

2.フライパンに残りのオリーブオイル5ml(小さじ1)を入れ、1を皮の部分が下になるように入れて、30分弱火で皮目全体に焼き色がつくように焼く。1の混ぜ合わせたソースを鶏肉にかかるようにすべて加える。

3.ソースを作る。フェンネルシードとケッパーを刻み、混ぜ合わせる。

4.2の鶏肉を大皿に盛り、3のソースをかけて完成。

 

*今回のレシピは、ナポリの料理人であるヴィンチェンツォ・コルラード(1736-1836)著『優雅な料理人』(初版1773年)に紹介されていた、「大ウナギ添えロースト」から鶏肉の要素を抽出して作った。

*1のスパイスソースには、『優雅な料理人』に登場するハーブ、スパイス類を追加した。

*原典のレシピには塩の記述がないため、あえて加えていない。お皿に盛りつけた後、「追い塩」をして味わうのも楽しい。

*18世紀のナポリ料理を体感するため、レシピに載っているフェンネルシードは必ず加えたい。近くのスーパーで見つからない場合は、ネット通販を活用して入手しよう。「S&B フェンネルシード」が比較的容易に入手できる。

遠藤雅司(音食紀行)
遠藤雅司(音食紀行)

歴史料理研究家。国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻卒。2013年から世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」をスタートさせ、実食イベントやレストラン...