そんなヘンデルが毎朝飲んでいたのはホットチョコレートです。ヘンデルの使用人が朝チョコレートを運んでいったとき、主人が涙をインクに混ぜて神々しい曲を書いているのを見て驚き、チョコレートが冷めるまで黙って立っていたという逸話があるほどです。
チョコレートは新大陸の飲料で、現地でチョコレートを飲むようになったスペイン人が、帰国時に持ち帰ったものです。カカオ豆の荷がスペインのセビーリャに届けられたのは、ヴェネツィアにコーヒーが着いてから20年後の1585年のことでした。当初、チョコレートは嗜好品ではなく、医薬品でした。身体の状態を改善させるものとして、チョコレートはヨーロッパ世界に徐々に広まっていきました。
宮廷から宮廷へ、貴族の館から館へ、修道院から修道院へと広まっていったチョコレート。早くも17世紀スペインの宮廷で、チョコレートはブームとなります。スペイン・アンダルシア出身の外科医コルメネロ・デ・レデスマは、1644年に『チョコラタ・インダ』というチョコレートに関する本を刊行し、その中に当時のチョコレート飲料のレシピを載せています。
チョコレート飲料は時代を経るごとに薬用から嗜好品へ、またヨーロッパの食材と結びついて進化を遂げていきます。
イギリスにも1650年代頃、共和政時代にチョコレートが上陸しました。同時代に入った茶やコーヒーに比べ、チョコレートは優雅で贅沢な洒落た飲み物で、ロンドンでオペラを作曲していた頃、ヘンデルも日課として飲むほどでした。
イギリスでは、アステカ帝国の作り方をほぼ踏襲したスペインとは違い、香辛料が消え去り、泡立てた卵と砂糖を溶かしたローズウォーターを使ってチョコレートを作っていました。
また、リヨンの富豪・人文学者であったフィリップ・シルヴェストル・デュフールという人物は、手早くできて健康的なチョコレートの作り方を提唱しています。
ヘンデルが生まれた1685年にデュフールが著した『新奇なるコーヒー、茶、チョコレートに関する概論』は、早くも同じ年のうちにジョン・チェンバリンという人物によって英訳版が出ており、こうした新しい飲料へのイギリス人たちの関心の高さが窺えます。ここに紹介されているチョコレートの作り方を見てみましょう。