パリはまた、中央に流れるセーヌ河によって右岸、左岸に分かれます。プルーストは生涯右岸を出ることはありませんでしたが、やはり右岸の住人で、ノアイユ伯爵夫人やポリニャック大公妃、大富豪のミシア・セールに可愛がられていた詩人のコクトーは、20世紀初頭から芸術の中心地に移行した左岸のモンパルナスに進出するべく、算段します。
目をつけたのはキュビズムの創始者、ピカソでした。1904年から右岸のモンマルトルの「洗濯船」に住み着き、07年に《アヴィニョンの娘たち》を発表し、12年に左岸のモンパルナスに移ったピカソは、まさに前衛の旗手でした。