

——お母さまは数学者の道に進んでほしかったのですか?
パヴラク そうですね。
——ピアニストになりたいと言ったとき、驚かれましたか?
パヴラク はい、家族全員が驚きました。僕の音楽の才能は突然現れたような感じだったので。でも両親は、子どもの頃の僕の情熱を尊重して、応援してくれました。家族で一番ガッカリしていたのは祖父でした。祖父はいつも「音楽は趣味で十分。一流の大学へ行って、安定した収入のある仕事につくべきだ」と言っていたので、音楽には反対だったんです。
でも両親は「まだ子どもだし、今の段階では将来ピアノ一本でやると決めているわけじゃない。途中で進路変更もできるし、あとから一般の大学へ行くこともできる。だから何も失うものはない」と考えてくれました。そして祖父も、僕が成長し、キャリアが進んでいく様子を見て、考えが変わったようです。
——ピアニストになろうと決めたのは何歳頃ですか?
パヴラク はっきり言うのは難しですね。2〜3歳の頃には、もう簡単なメロディを弾いていました。4歳のときに両親がキーボードを買ってくれて、それが大のお気に入りで、ずっと弾いていました。6歳で音楽学校に入りましたが、そのときにはもう、「絶対にピアノをやりたい!」と自分の意志で思っていて、そこから本格的に学び始めた感じです。
年齢を重ねてもその気持ちは変わらず、音楽学校で進級するたびに、「自分はピアニストになりたい」と思い続けていました。

——数学では修士号も取得されていますが、あまり勉強していなかったとはいえ、修士論文を書くのは大変ですよね。
パヴラク 音楽院と大学の両方に通うのは大変でしたが、“ものすごく大変”というほどではありませんでした。数学は、仕組みさえ理解していれば、暗記しなくても自分で導ける部分が多いんです。例えば、公式を覚えていなくても、その公式がどんな原理から生まれているかわかっていれば自分で導ける。
だから、理解していれば、勉強に膨大な時間をかける必要がないんです。もちろんちゃんと勉強しなければならない難しい科目もありましたが、あまり授業に出ずに試験だけ受けて合格した科目もあります。
それに、大学側が僕の音楽活動を理解してくれていて、とても柔軟に対応してくれたんです。出られない週があっても問題にしないでくれましたし、音楽院と時間が重なるときは、週ごとに行き先を変えても良いことになっていました。
それから、修士論文を書いていたのは2020年です。パンデミックが始まり、コンサートはすべてキャンセルされ、授業もほとんどオンラインになりました。そのおかげで時間がたくさんできたので、3〜4月にほぼ書き終えていました。