飯森 今回のアダムズは、演奏する側に自由な余地を残して楽しませてくれるようなところもあります。

角野 そうですね。いろいろなジャンルからの影響が感じられて、新鮮でおもしろい作品なので、今回も喜んでお引き受けしました。序盤から四つ打ちのビートが聞こえてきたところで、おっ、やりたい!と思いましたから。ミニマル・ミュージックの系統にいる作曲家だけれど、繰り返しながらも展開があって、高揚感も十分です。

飯森 ミニマルでありながら、既存の概念から踏み出した独自のスタイルで書かれていますね。リズムパターンや音のチョイスが斬新で、でも耳障りなところはなく、能動的な聴きたいという意欲を掻き立てる作品です。人間の生理がよく考慮されていて、繰り返しもそろそろ飽きそうだという絶妙なタイミングで次のステージに入っていくんです。

角野 ミニマルのちょうど気持ちいいところが集約されている作品ですね。3楽章は死の行進みたいな音楽で、まったく楽しくないスイングが永遠に続くところがおもしろい。最後の音は、死を表しているのかなと想像しました。

飯森 意表をつく、常人には考えられないような終わり方だよね。この楽章は悪魔に取り憑かれてしまった人間を表しているかのようで、ベルリオーズの《幻想交響曲》の5楽章に近い雰囲気を感じます。

角野 知らない曲だと聴きにいくのをためらう方もいるかもしれませんから、演奏する側がこういう場を通じ、どう聴くとおもしろいかを伝えていかないといけませんよね。一旦、新しいものを知るのが楽しいというマインドになれば、それはもう無限に広がっていきます。今回のアダムズもノリノリで聴いてもらいたいです。体を揺らすくらいの勢いで。

PPT×日本センチュリー交響楽団合同演奏会~新しいことへの挑戦の勇気

——今回は、PPTと日本センチュリーの合同オーケストラによる演奏です。

飯森 二つのオーケストラそれぞれにスーパープレイヤーがいるので、普段は首席の方が2番で演奏することもあります。表現のクオリティが一歩も二歩も先を行くことになるのではないかと期待しています。

後半で演奏するR.シュトラウス《アルプス交響曲》は、ミュンヘンの南、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンのシュトラウスの山荘で書かれた作品です。その窓から見えるドイツで一番高い山、ツークシュピッツェは、僕もいろいろな季節に歩いていますが、夜明け、苔ですべって足を取られる感触、突然の夕立ちなど、あらゆる情景が見事に音で表現されていると感じます。シュトラウスは、銀のスプーンでも音で描写できると言ったといいますが、やはり天才です。

作品の根底にある“自然への感謝”を感じながら、山の中のドラマティックな散歩を経験していただけたらと思います。

——おふたりは常に新しいことに挑戦し続けていますが、そういったことに勇気を持って踏み出すために必要なものはなんでしょうか。

角野 まず一つは、信念でしょうね。新しいことをすればいろいろな意見が出るのは当然ですが、そこに根拠と強い想いがあれば、それ以外の選択肢はないという気持ちで進んでいけます。

僕はその根拠をよく歴史に求めます。こんな人がこう言われたけれど結果的に功績を残した、というような過去の出来事には勇気をもらえます。

高校生くらいの頃は、歴史を学ぶ意味がよくわかっていませんでした。でも音楽家として活動するようになって、歴史を学ぶことは自分の人生にダイレクトにかかわる問題だと気づきました。自然と何か新しいことをやらなければいけないという気にもなります。

もう一つ必要なのは、信用です。それは全てなんらかのコミュニケーションで成り立っていること。知らない曲でも、何かおもしろいことをしてくれるかもしれないと思ってもらうために情報を伝えることもコミュニケーションです。それを受けて、みなさんが演奏を聴くというアクションを起こしてくれる、これもコミュニケーションです。

——飯森さんも、長いキャリアの中でいろいろなことを乗り越えて来ていらっしゃると思いますが。

飯森 本当に、いろいろなことを言われてきましたよ(笑)。でもやっぱり大事だったのは信念ですね。あとは作曲家はじめ、主催者やお客さんなどすべてに誠実であること。これ以上ないほどの準備をして取り組むことを大前提にやってきました。

そうして人がやらないことをやることで、“飯森さんの演奏会にはいつも発見がある”と感じてほしい。そもそも人がやっていることをやるなら、それよりも自分がよほど優れていなくてはいけませんし。

日本センチュリーではハイドンの交響曲全曲演奏と録音のプロジェクトを続けていますが、はっきりいってこんなことをやろうとするのは異常ですよ(笑)。でも、それが自分や日本の音楽史にとって大切だし、自分にしかできないことだと思うからやっています。