そんな話でなくていい。もっと一般的なところ、特別に音楽を好む、「趣味は音楽」や「サークルで音楽を」でさえないひとにも、坂本龍一は、「あ、そうか」とおもわせるものがあったのではないか。

音楽はしばしば「うた」だった。音楽はことばが、声がついたものが中心で、それいがいはあまり目にはいっていない。気にしていない。そういうひとはすくなからずいる。冗談ではない。大学でわたしが講義をするようになって驚愕したことのひとつだ。こんなにうたのない音楽ってあるんですね、と。学校教育における音楽を「うたもの」が占めている。

たしかにこの列島に伝えられてきた伝統的な音楽のほとんどが声によるものではあった。いまはさすがに違っているかもしれないが。科目としての音楽に興味がなければ、教科書に載っているクラシック曲や世界の音楽に声、ことばのない音楽がいくらもあることは、目にはいらない。

ことばがついている「うた」がふつうだとおもっているひとたちに、「そうじゃない、楽器による音楽があり、楽器でもないものでも音楽が奏でられる」と気づかせたのは、さまざまなイメージをとおして視覚的にも把握できる坂本龍一だったのではなかったか。

武満徹でも、ジョン・ケージでも、ベートーヴェンでもなく。