恩師との出会いが大きな転機に

そこで師匠のガーリー・ミューラー氏と出逢ったことが、僕のいちばん大きな転機です。師匠は「守也、これは違う。だからこうしなさい」と諭すように教えてくれる、とても温厚な人でした。でも僕は相変わらず練習嫌いだったので、「お前は何のためにルクセンブルクまで来たんだ」と呆れられたこともありました。

あるレッスンでは「練習の仕方」をみっちり指導してくれ、「練習ではメトロノームを使うんだ」と教え、僕が間違えたら「落ち着いて、もう1回」……「守也、いいか。練習というのはこうやるんだぞ」と、根気よく付き合ってくれたんです。

それに師匠は「お前は才能がある」と僕を褒めてくれ、「今のお前は磨かれていないダイヤの原石なのだから、練習すればいいんだ」と励ましてくれた。試験の出来が悪かった時も「点数は悪かったけど、お前の演奏はいちばん良かった」と……。僕は師匠の演奏をすごく尊敬していたので、「その師匠がそう言ってくれるんだから」とすごく自信をもらいました。

ピアノの音にはその人のすべてが表れる

22歳で帰国し、「レ・フレール」としてデビューしましたが、当時の僕は「ピアノで自分を表現しよう」というよりも、ただがむしゃらでした。でもピアノというのはやっぱり、音に演奏者のすべてが表れてしまう。同じ曲でも演奏者によって大きく変わるのは、その人の経歴から人となりまでが音に表れるからだと思うんです。今は「僕のすべてがピアノの音に表現されるのだし、僕のピアノとお客さんとの相性が幸運にも良ければ、お客さんは喜んで聴いてくれるんだな」と考えています。

そもそも、子どもがポーンと鳴らした1音にも「その子らしい表現」が必ずある。シャイな子はシャイな音、堂々とした子は堂々とした音を出す。技術を磨いていけば「コントロール」はできるようになるけれど、もともと持っている「自分のカラー」みたいなものがあって、それが音に表れる。自分の表現を認めてもらえたら子どもは嬉しいし、認められないとすごく悲しい。だからピアノや芸術に限らず、親はその子の表現を丸ごと受け止めてあげる必要があると思うんです。