「ます」の歌詞は、3節から成り立っており、次のように展開していく。1節目「鱒が小川を元気よく泳いでいる」、2節目「釣り人がマスを見つけ、釣り針をたらす。しかし、水が澄んでいるため、マスはなかなか罠にかからない」、3節目「冷酷な釣り人は、小川を掻き回して濁らせる。とうとう、マスは釣り上げられてしまう」。
物語のクライマックスは、3節目の「マスが釣り上げられる」場面だろう。中でも次の3行の表現は、ひじょうに劇的である。もう少し詳しく第3節を読み解いていこう。
Doch endlich ward dem Diebe
しかし、とうとうこの盗人(釣り人)はDie Zeit zu lang; er macht
我慢できなくなった。彼はDas Bächlein tückisch trübe:
小川をずる賢くも濁らせた
筆者訳(説明の都合上、できるだけ原文通りの語順で訳している)
この詩はイアンボス(Jambus)という形式で書かれており、「弱く読む母音」と「強く読む母音(下線)」が交互に並んでいる。アクセントが一定の位置にあるため、非常にリズミカルで読み上げやすい。
しかし、穏やかな音の流れは、引用した部分の3行目で変化している。「tückisch(トュキッシュ)」と「trübe(トュリューべ)」という言葉が並んでいるのは、tという固く強い子音を続け、詩の響きに緊張感を持たせるためである。連続して語頭に同じ音を用いる技法は、「頭韻(Alliteration)」と呼ばれる。
「頭韻」がマスに迫る危険を表すのに使われたとすれば、それはシューベルトの歌曲にも通じる。「マスが釣り上げられる」シーンを音楽にするうえで、シューベルトもさまざまな工夫を凝らしている。繰り返されてきた旋律を大きく変化させ、ピアノ伴奏にも和音を連打させるのだ。こうした場面に応じた音の変化は、詩の響きを的確に感じとり、その効果を最大限に高めたものである。