ベートーヴェンの音楽に差し込む「光」は、存在の異なる段階へと扉を開く

――第3日の「Light(光)-長調」(6/14)では、第10番作品74「ハープ」と第9番作品59-3「ラズモフスキー第3番」のいずれにおいても、第1楽章のはじめにゆっくりした序奏があり、そこから急に、まるで新しい気づきを得たかのように音楽が走り始めます。まるで、新しい世界への扉が開いて、光が差し込んできたかのような偉大な瞬間です。なぜベートーヴェンはそのような音楽を書こうとしたのでしょうか?

SQ 第10番(「ハープ」)と第9番(「ラズモフスキー第3番」)の開始は、何か深遠なものの入り口に立っているかのような印象を与えます。どちらの作品でも、音楽は瞑想的で時間が止まっているかのような雰囲気で始まり、その後、まるで障壁を突き破って光の中へ飛び立つかのように飛翔します。

この構成上のコントラストは、偶然に生まれたものではありません。ベートーヴェンは啓示、変容、あるいは覚醒を描くために、このような並置をよく用いました。そこには彼の深い内面世界――暗闇の中での苦闘を経て湧き上がる洞察や明晰さ――が反映されています。

この場合、「光」は単に美的なだけでなく、形而上的なものなのです。新たな音楽的アイデアだけでなく、存在の異なる段階へと扉を開くものです。

ベートーヴェンは、人間の精神が疑念から確信へ、影から光へと移り変わる、突然に訪れる啓蒙の瞬間を表現しようとしていたのかもしれません。

英雄的勝利ではない終わり方が示唆するもの

――第4日の「Shadows(影)―短調」(6/15)に集められた短調の3曲は、ベートーヴェンらしい闘争的な音楽ですが、終楽章の終結部において、急に長調に転じて終わります。曲の流れからすれば、悲劇性を強める終わり方にもできたはずです。とくに「セリオーソ」の最後は唐突でさえあって、闘争によって苦難を克服して勝利を得たのとは違う感じがします。この終わり方についての見解をお聞かせください。

SQ 4日目の短調の弦楽四重奏曲3曲―第4番作品18-4、第11番作品95(「セリオーソ」)、第14番作品131は、ベートーヴェンのもっとも激しく劇的な作品に入ります。実際、これらの終楽章は突如として長調に移行し、それは「ハッピーエンド」を示唆しているのかもしれません。しかし、これは従来の意味での勝利ではありません。

▼【演奏動画】ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 作品18-4
(シューマン・クァルテット公式YouTubeチャンネルより)