とくに第11番(「セリオーソ」)では、結末があまりにも唐突で、ほとんど皮肉のようで、安易な解釈を拒んでいます。それはベートーヴェンの交響曲で聴くような英雄的な勝利ではなく、未解決で、ほとんど断片的なものです。絶望に直面したときの「反抗的な笑い」、あるいは予期された結末の意図的な転覆としてさえ読むことができます。
第14番では、終楽章は先行する楽章から有機的に生まれてきますが、それでもなお、困難を経た末のものとして感じられ、曖昧さを残しています。ベートーヴェンは単純な答えを示しません。これらの作品は長調で終わりますが、それは影を突き破って差し込む一瞬の光のように見えます。短く、不確かですが、その儚さゆえの感動があります。
――第5日の「Freedom(自由)―フーガ」(6/17)は素晴らしいテーマですね。これは、形式の自由ということだけでなく、もっと広い人類的なメッセージを含んでいると考えてもよろしいでしょうか? また、あの緊迫感の強い「大フーガ」は、同じフーガでもバッハの永遠性とはまったく異なる性格を持つように思われます。ベートーヴェンならではのフーガの特徴とは何でしょうか?
SQ そうですね、この「自由」というテーマはいろいろなレベルで理解することができます。
ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲、とくに第13番作品130とそれに付随する「大フーガ」(作品133)は、形式、構造、表現において並外れた自由さを示しています。技法的革新を超えて、そこにはより深いメッセージ――人間的自由と真正さへの根源的な呼びかけ――があります。
「大フーガ」はとりわけ印象的です。バッハのフーガがしばしば宇宙の秩序や神聖な調和を表しているのに対し、ベートーヴェンのフーガは激しく爆発的で、ほとんど反逆的です。それは対位法の音楽言語で描かれた人間の葛藤そのものです。ここでのフーガは、永遠の秩序ではなく、ダイナミックで劇的で、対決的でさえあります。
ベートーヴェンは音楽におけるもっとも厳格な形式を用いて、その枠を打ち破る――それによって、真の自由が規律の中から生まれ得ることを証明しています。この意味において、フーガは単なる作曲技法ではなく、外的・内的な限界に挑む個人の精神の象徴なのです。
▼【演奏動画】ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第13番変ロ長調 作品130 第5楽章(抜粋)(シューマン・クァルテット公式YouTubeチャンネルより)