「ショスタコーヴィチは自分自身だ」

ショスタコーヴィチもまた、そんな「ウソ」と「真実」の狭間で生きた人物だと井上氏は言う。

「彼はコンプレックスだらけだった。でも、そこから逃げずに作曲を続けた。僕自身、そういう人間になりたかった」ショスタコーヴィチの姿に、自らの在り方を重ねて来たのだと言う。

「ショスタコーヴィチはね、《ムツェンスク郡のマクベス夫人》の中で、エクスタシーの場面を、トロンボーンでそのまま、書いちゃった。人前でやったら顰蹙(ひんしゅく)ものだけど、舞台の上ならOKだと思ったに違いない。彼20代だったんだよ、今でもあの方法は下品だと感じさせるが……」

指揮者・井上道義にとって、ショスタコーヴィチは生涯のテーマであり、その深く錯綜する心情に共鳴しつつ、寄り添い続けてきた。

「ショスタコーヴィチは自分自身だ」と言い切るほど、オーバーラップできる絶対的な何かがあるからこそ、その音楽と真正面から向き合い、追求し続けていたのだ。