岡田 これまで三輪さんは、音楽を通してデジタル・テクノロジーに真正面から対峙しようとしてきたわけだけど、今度の縁側プロジェクトでは逆に、徹底的に「人力」にこだわろうとしているのかな。
最初に話題に出たように、三輪さんの出発点はプログレであり、僕は西ドイツのテクノ・グループ、クラフトワーク(あるいはYMO)との接点も強く感じるんだけど、いずれにせよ、「電気を介在させた音楽」という問題意識が創作初期からずっとあった。
ピアニストの弾くピアノとコンピュータで制御される自動ピアノとテープを組み合わせた《東の唄》なども、本当にぶっとんだ作品でした。リアルタイムで人声らしきものをフォルマント合成で発生させるMIDIアコーディオンという楽器の開発にも長年取り組んでこられた。
近いところでは、コロナ禍が起きた2020年に岐阜のサラマンカホールでやったオンラインの音楽イベントが忘れられない。リアルタイムのみ、夜中の11時から2時まで、無観客のコンサートホールからの中継。「電気テクノロジーを介したヴァーチャル・リアリティとしてしか音楽を体験できなくなっている」という状況を思い知らされた。でも同時に僕は、やっぱり「音楽」として深く感動しましたが。
ひょっとすると今回の縁側プロジェクトでは、あのオンライン・イベントの対極にあるものを創ろうということなのかな……まあ当日になるまで何がどうなるか見当もつかないハラハラドキドキ感こそが、三輪さんの創作の最大の魅力でもあるけれど……。
三輪 お褒めの言葉は嬉しいんだけど、そのおかげで毎回寿命が縮まる(笑)。
岡田 本番ステージが始まるまで、何が出てくるか見当もつかないというハプニング性。三輪さんがどこまで意識してるのかはわからないけど、クラシック系の人(クラシック出自の現代音楽の人も含めて)にはほとんどない感覚だと僕はいつも思っています。「予告した曲をきちんとやりました、勤務評定マル」じゃ面白くない、音楽は究極ハプニングだ、みたいな感覚。
林田 すごくよくわかります。「確認鑑賞」っていう言葉があるじゃないですか。クラシック音楽の世界は、あらかじめ自分がよく知っている曲や演奏を確認しに足を運んだり、確認鑑賞の性質がどうしても起きてしまう。それはクラシックの良いところでもあり、安心できる部分でもあるんですが、ある意味予定調和すぎる、面白くないところかもしれない。
逆にロックの場合だと、あらかじめセットリストが配られるなんてことはまずなくて、ライブっていうのは、次にどんな曲をやるかは分からないっていうのが、 基本じゃないですか。
岡田 三輪さんのやることって、いつも直接的に「びんびん来る」んですよね。背後の理論なんて知らなくたって、「なんだこれ?!」と思わせる力がある。
林田 現代音楽から聴衆が遠ざかってしまった最大の理由っていうのは、いかにして作られるかっていう、そのいかにしてが語られすぎるっていうことにあると思ってるんです。 あまりにも「この曲がいかにして作られているか」っていうことが膨大に語られすぎると、聴き手って離れていくんですよね。
だけど同時に三輪さんの作品には高度の知的で哲学的なものがある。またプログレッシヴ・ロックに戻りますが、あれがなんでカッコよかったかって考えると、知的に見えたってことなんですよね。売れるか売れないかよりももっと大事なことがあるぜっていう感じで。恐ろしく知的な操作をしてテクノロジーを使いこなしながら、最高にクールな、カッコいいことをやる。つまり、知的な操作をすることのカッコよさっていうのが、プログレッシヴ・ロックの中にあったと思うんですね。
特にキング・クリムゾンのリーダーのロバート・フリップと同じような精神――自分は目立たないようにしながら全体を深部からコントロールしようとする―― を、三輪さんに感じるっていうところもある。