畠中 新聞のインタビューで「麻痺が進んでいる」と書かれていました。
舘野 そうですね、麻痺はどんどん進んでいます。脳溢血を起こしたのが65歳のとき。80歳を過ぎたころから麻痺の度合いが高くなりました。いまはもう右足がほとんど動かない。だから歩くこともできない。それはまあ、妻のことのショック(奥様のマリアさんは3月末に亡くなられた)もあるんだろうけれど、残念ながら麻痺は確実に進んでいます。
でもね、演奏に支障は来ていません。だから平気で言えるんです。いままで積み重ねてきたものは表現できる。妻もよく言っていました。「あなた、ステージに出てピアノに触ったら、30年くらい若返っちゃうのね」って。
畠中 僕は東日本大震災のときに脳内出血を起こしました。42歳のときで、左側の脳が6センチ切れました。右手の機能を失い、肺の内転筋もやられているので、右の肺活量が半分くらいに落ちてしまって。唇にもゴルフボール大の麻痺が残っています。なので、それまでのように吹こうとしてもまったく音が出ない。
楽器をずらして、左の肺を潰すように体を折り曲げたら、やっと吹けました。ただし、肺活量が減っているので、ヴィブラートがかけられない。仕方なくヴィブラートを捨ててみると、音楽のシンプルな構成がわかるようになりました。
いまは、昔よりいい演奏だと言われることが多くなりました。自分でもそう思います。病気をしていなかったら気づかなかったことです。
舘野 専門家がよく言っています。左手だけだと表現が狭くなる、華麗ではなくなると。でも僕は一切感じたことがない。
例を挙げます。病気になる前に、シサスクというエストニアの作曲家の《銀河巡礼》という曲を日本で初演しました。ウミヘビ座のうねうねした動きを両手のユニゾンでダダダーンと弾く、そういう音楽。
それで、右手が使えなくなってから、2012年に彼がその曲を左手用に編曲したんです。2本あった線が1本になった。そうしたらシサスクが「1本のほうがいいな。2本だからいいってわけじゃないんだ。迫力とか緊張感とか中身とか、全然違う」と言ったんですよ。
畠中 音楽は両手とか左手とかじゃなくて、もっと簡単なことなんですね。