舘野 ところで、僕は左手になって演奏できるのはピアノだけだと思っていました。管楽器は無理じゃないかと。だからフルートが吹けるというのは驚きましたね。
畠中 左手1本で吹けるように、フルートを改造しました。それを作れる人が北海道にいたのです。
長沼町にある「山田フルート・ピッコロ工房」の山田和幸(やまだ・まさゆき)さん。左手だけで吹きたいんだと相談したら「せっかくいい音楽を持っているんだから」と引き受けてくださった。
僕、右手に8キロくらいの握力が残っているので、楽器を支えることはできます。右手の小指もかろうじて動くので1個パーツをつけてもらい、あとは右手でやることを左手の小指でできるように、キーやレバーをつけてもらいました。これですべての音を出すことができます。
見てください。この木管フルート、世界に1本だけなんですよ。指づかいはブラインドタッチ。僕の小指の長さに合わせて、キーの位置を少しずらしてもらいました。
養護学校や障がい者施設で演奏すると、音楽を完全にあきらめていた人がもう一度楽器を出してみようと思ったとか、澄んだ音色にとても勇気づけられましたなんていうお話をいただいて……。
舘野 素敵ですね。
畠中 ありがたいことです。
畠中 病気をされて、音楽に対する考え方は変わりましたか?
舘野 全然変わりません。やっていることも変わらない。小さいころからずっと同じことを続けているだけです。だから「第二のピアノ人生」という考えもありません。自分では左手だけで弾いているという意識もほとんどない。
でも現実に左手だけだと疲労が激しいし、体も落っこちるかもしれない。やはり負担がかかります。
畠中 僕の場合は日によって麻痺の感覚が違います。だから吹き方も微妙な修正が必要になる。舘野さんはいかがですか?
舘野 僕はあまり感じないなあ。ただ負担と言っても、左手で弾くためにはそれは当然ついてくるもの。当たり前というか、自分で解決していけばいいことですよ。
音楽とは生きているということ。命の軸です。毎朝起きて、ピアノの前に座って、音が出るとパッと花が咲く。それを毎日、繰り返しているだけなんです。
畠中 舘野さんのそんな姿を見て、僕らがどれだけ勇気づけられていることか。僕は病気の前は他人の声がとても気になるタイプで、評価されたいといつも感じていました。
でも病気を経験したことで自分の音も変わり、いまは単純に楽器を吹きたいと思っています。
あの、もしよかったら1曲聴いていただけませんか?
舘野 もちろん。楽しみにしていました。
(畠中さん、カッチーニの《アヴェ・マリア》を吹く)