ヨーロッパでは昔から「楽器奏者たちは人の声の表現を理想とすべし」という考えがあり、声楽抜きの音楽が本当に独自の境地を獲得できたのは、19世紀もかなり経ってからでした。それでバロック期には、人の声に近い音域で、歌声のように自在な情感表現のできる楽器が大切にされました。

その最たる例がヴィオラ・ダ・ガンバ。チェロより昔から愛されていたこの楽器のための音楽もまた、じっくり聴くに足る作品や演奏に多く出会える一方、人に心地良い音域の中でくりひろげられる響きの妙は、そこに深く気持ちを向けていない時にも接する人の心を整えてくれる触感に満ちています。

たったひとりの奏者の弓から紡ぎ出されるガンバの調べも魅力的ですが、

音量を落として、となりの部屋で誰かが合奏しているような響きもまた快いもの。

ヤン・ブリューゲル1世とルーベンスの共作『聴覚』(1618/プラド美術館所蔵)に描かれた合奏用ガンバ。奥の方には合奏に興じる人々の姿も。

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音楽の場に居合わせた人々が全員、固唾を飲んで音楽に集中する……それがプロの演奏に接する時の一般的なマナーになったのは、実はそう昔のことではありません。もちろん熱心な聴き手は時代を問わず歓迎されたでしょうが、注意力散漫ながらにそこに居合わせ、気が向いた時だけ音楽に耳を傾けるような聴き手たちも、ヨーロッパの芸術音楽世界は決して排除してこなかったのです。

録音物は、演奏家の実演という極めて貴重なひとときとはまた違う、聴き手軸での音楽との接し方も可能にしてくれるもの。その特性を大事にして、じっくり、いろいろな角度から音楽とつきあってゆきたいものですね。

白沢達生
白沢達生 翻訳家・音楽ライター

英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...