——そして、運命の事件が起ります。
幹雄 征爾がラグビーの試合で、指を骨折したのです。実は指だけではなく、鼻の骨も折れていたのですよ、その時。成城にとってはライバルである成蹊との試合だったので、いつも以上に激しく動いていたせいだと思いますが。それで、ピアニストになろうという夢は挫折したと本人は思い込んだ。
——しかし、そこで豊増先生のひと言が。
幹雄 「小澤君、指揮というものもあるよ」と。音楽を続けるならば、ピアノだけではないと先生に教えられた。でもその時、征爾は生のオーケストラを一度も聴いたことがなかったし、指揮というものをどうするのかもまったく知らなかったのです。
というのも、兄たちが音楽好きで「城の音」という合唱団を作っていて、征爾も僕もそこに参加していた訳ですが、征爾がある時、指揮をしろと言われて、兄に「でも3拍子って、どうやって振るの?」と質問していましたから。
——それは可愛いエピソードですね。思い出すのは、小澤家のご兄弟の努力と仲の良さなのですが、例えばリヤカーで古いピアノを3日かけて運んだとか?
幹雄 それは征爾のためだけではなく、兄たちがとにかく音楽好きで、ピアノが欲しかったからなのですよね。でも、征爾がピアノを弾き始めたら、これはもしかしたら才能があるかもしれない、とみんな思ったようでした。
豊増先生に「指揮というものもあるよ」といわれた征爾は、あわてて日比谷公会堂へ行って、新響(いまのN響)を初めて生で聴いたそうです。レオ二-ド・クロイツァーがベートーヴェンの「皇帝」を指揮しながら弾いたコンサートで、帰ってきたら母に「指揮をやってみたい」と言ったらしい。
そうしたら母が、「指揮をやりたいんだったら親戚に斎藤秀雄という人がいるよ」と。征爾はすぐ1人で訪ねていって、「親戚の者ですけど、指揮を教えてください」と言ったとか。斎藤先生は、見たこともない中学生が突然訪ねてきてびっくりしつつも話をきいてくれて、「今新しい音楽高校(桐朋学園)を作る準備をしている、来年できるから入っていらっしゃい。そのためにはこういうことをやっておきなさい」と、ソルフェージュやいろいろな受験勉強を教えてくれたそうです。(幹雄)