ベジャール振付『ボレロ』は“音楽の化身”

――『ボレロ』は楽器の音色がいろいろと変化していきますが、踊りも変化するものなのでしょうか。

上野 楽器がだんだんと増えていくので、それに伴い動きも大きくなりますし、リズムを踊るダンサーの人数も増えていきます。最初は“メロディ”がひとりで踊り、楽器が増えるにつれ、“リズム”が2人、4人……と増えていき、最後はみんなで踊る、まさに音楽そのもの。

音色に関しては、私はそこまで意識していません。その時々で同じ音色でも感じることが違ったり、違う反応を身体が勝手にしたりするので。悲しかったり、切なかったり、嬉しかったり……その時々で感じ方が異なり、踊りのニュアンスも変わるので、自然と音色から感じ取っているとは思います。

今日はなんかやたらこの場面が嬉しいぞ、とか(笑)。人生そのものに思えたり、生まれてから死ぬまでに思えたり、朝起きてから夜寝るまでに思えたり。

逆に、そのパートをどんな感じで踊ろうとか、こうしなければならないとか頭で考えすぎてしまうと、変な力みが生まれますし、音楽が聞こえてこない踊りになってしまうような気がしています。

――ローラン・プティ振付『ボレロ』との違いはどうでしょうか。

上野 プティ作品全体にいえることですが、ストーリー性があるところやフランス的な感性、あとはプティの独特な動きから生まれるプティの香りがあって、ダンサーはそれらを表現するのが使命。これが特徴だと思います。

ベジャール作品は、どちらかというともっと生身の人間――魂だったり、肌感だったりと、その人自身を濃く打ち出す作品、という印象が強いです。『ボレロ』はとくにその人そのものが出るので、面白くもあり、怖くもあります。その日どうなるかは舞台に立って感じてみないとわからない。だからこそ、『ボレロ』は奥が深い作品だと思います。

それと、ラヴェルの音楽を“目で見る”のであれば、あのベジャール振付・演出が最高の形だと私は思います。音なしで踊りを見ていているだけで、旋律が聞こえてくる。視覚化された音楽として、自分が“音楽の化身”になるみたいな感覚ですね。

――音楽の化身!

上野 聞こえるだけではなくて、見ることのできる音楽。『ボレロ』は“メロディ”にも“リズム”にも役柄がありません。役柄があれば、音楽的に踊ることに加えてキャラクターが入りますが、『ボレロ』にはそれがない。

“メロディ”はまさに自分がメロディに、“リズム”は自分たちがリズムになる舞踊であっても、ダンサー全員で音楽を奏でるような感じですね。音楽を可視化するという意味で、すごく秀逸な“音楽表現”になっていると思います。

――『ボレロ』において音楽に助けられていると感じることは?

上野 毎回感じます。音楽に引っ張ってもらっているに他ならないというか。あの踊りは音楽そのものですし、音楽のパワーというのをとくに感じるからこそ、15分も踊り続けられるのだと思います。

“メロディ”は15分間一人で踊り続け、しかも最後に向けてクレッシェンドしていく過酷なパートだが、「音楽のパワーを感じるからこそ踊り続けられる」と上野は語る(「東京バレエ団60周年祝祭ガラ」の舞台より) ©Kiyonori Hasegawa