音楽における「時間の揺らぎ」の3要素

当時、クラスの主任だったユーリ・スレサレフ先生にもっとも頻繁に指摘されたのは「もっと普通に弾いたら?ルバートが多すぎるよ」ということでした。このルバートというものは当時の私が抱えていた(演奏上の)主要な課題のひとつで、レッスンのたびに「もっと自然に弾かなければ」「犬が散歩をしながら道端の野花に気を取られて目的地に辿りつかないようなものだ」などと指摘され、いったいどうすればいいいのかわからなくなってしまったのです。

当時の私は、ルバートとは「加えれば加えるほど音楽の魅力を増やすことができる」魔法の薬のようなものだと考えていました。それを抑えるよう助言されたとき、私はなにか音楽から生気が失われるような錯覚をおぼえ、少し嫌な感じがしたものです。加えてロシアのピアニストであるエリソ・ヴィルサラーゼ先生があるインタビューのなかで語った「私はルバートはしません。ルバートをしていることが聴衆に判ってしまってはいけないのです」という言葉が私をさらに迷わせました。

はたしてルバートとはなにか、ルバートがない演奏は可能なのか—―。実のところルバートは、一般的に想像される以上に難しい技術で、正しく使いこなすためにはとても大変な法則を理解しなければならないだけでなく、ときおり誤解をもって考えられていることさえあります。

私が思うに、音楽における「時間の揺らぎ(=楽譜に書いてある音価と実際に出る音にずれが生じる)」的な要素には大きく分けて3つくらいの段階があります。第1段階が「イントネーション」、第2段階が「ルバート」、そして第3段階が「テンポの変更(楽譜に書かれた以外のリタルダンドやアッチェレランド)」です。

第1段階「イントネーション」は、実のところすべての場所に存在し必要とされ、失われることは基本的にありません。これは人間が話す言葉におけるイントネーションと同じような考え方で、正しい音程感を出したり、リズムとメロディの要素を明確に見せたり、和声を充分に機能させるために時間をつくる必要があるというものです。とくに弦楽器や声楽では、音が移動する距離によって必要な時間が異なるので、イントネーションによって「時間をつくる」ことは不可欠になります(もちろんこの考え方をピアノにも適用する必要があります。すべての音を均等に弾くことが理論上可能なピアノのような楽器がむしろ特殊なのです)。

譜例1:イントネーション(リズムの明確化)の有名な例。付点のリズムなどでは楽譜そのままのリズムで演奏していても聴き手には正しく伝わらないことがあり、いくらかデフォルメすることが必要とされることがあります(もちろん時と場合によります! 例えばショパンなどではあまりふさわしくありません)
譜例2:テンポの遅い音楽でも流れが停滞しないように「架空の休符」を加えるイントネーションの例
譜例3:「モーツァルト的イントネーション」。16分音符が少し転がって滑り込むようになる例