M ワイン製造家の方々は、毎年変化するさまざまな状況に柔軟に向き合いながら、葡萄を栽培しています。同じ条件の年は二度となく、毎回がゼロから出発するような感覚。これは凄いことです。生きた芸術に対峙する演奏家も、同じ姿勢でいなければならないと思うのです。
内田光子さんは、たとえ同じプログラムで連日コンサートをするときも、翌日起床したらまっさらの精神で楽譜を見直すとおっしゃっています。子どもの頃の僕は、前もってすべてこう弾くと決めて、その通りに演奏することが本番だと思っていました。しかし、同じ曲を何度もコンサートで演奏するとしても、毎回ホールもピアノも聴衆も違います。その都度、新しい形を生み出すべきだし、またその方がずっと楽しいですね。そのために、こうも弾ける、こうも弾けるというほどに楽譜を深く読み込み、作品に込められた作曲家のメッセージを理解しようと努めています。
また、これは室内楽や伴奏にも当てはまります。良い共演者とは、実際のリハーサルで「ああ、彼はこう弾くのか、ならばこう応えよう」と音楽で自在に対話ができる人です。柔軟であることはとても大事で、それによって演奏家としての自分の器も広がるのだと思っています。
