音楽を怖がらないで!~世界的指揮者アンドレア・バッティストーニからのメッセージ
若くして頭角を現し、今や世界的な指揮者に成長したアンドレア・バッティストーニ。 著書『マエストロ・バッティストーニのぼくたちのクラシック音楽』からもわかるように、常に“若い世代”を意識して活動している。そんな彼に、クラシック音楽への扉を開くヒントを聞いた。クラシック音楽は怖くない!
あれから6年...... イタリアでは劇場に若者が帰ってきた!
—— あなたの本『マエストロ・バッティストーニのぼくたちのクラシック音楽』(音楽之友社刊)がイタリアで出版されてから6年が経ちました。この本で若者たちに伝えようと思ったことに関して、その後、変化が訪れていると感じることはありますか?
バッティストーニ そうですね。この本が出版された頃から、イタリア、そしてヨーロッパでも少しずつ若い世代の聴衆が増えている気がします。
観客数の落ち込みや平均年齢の高さという問題を解決するために、歌劇場やオーケストラなどで若者向けの企画が多く行なわれるようになりました。若い人たちが劇場や演奏会に行きやすいように、内容を工夫したり、チケットを手頃な値段で販売したりしています。
ぼくの本の影響があったのかどうかはわかりませんが、イタリアにおいては状況は少しずつ良くなってきています。劇場で以前より多くの若い観客を見かけるようになりましたし、それはとても嬉しいことです。
ぼくの理想は、イタリアがオペラ、音楽、芸術の分野で世界をリードし、頂点に立つことなんです。その目標にはまだ遠いけれど、何らかの手応えは感じています。この本でやりたかったのは、ぼくが愛する音楽について、同世代、そしてもっと若い人たちに向けて語る、という試みでした。
イタリアでは中学校などでぼくの本を教材として取り上げてくれる先生がいるそうで、時々Facebookでぼくを見つけた学生たちがメッセージをくれることがあるんです。「この本がクラシック音楽を聴くきっかけになりました」とか。すごく嬉しいですし、この本を書いて良かったなと思います。ぼくは読書が大好きで本を愛しているので、自分の本を書くのはとても楽しかったです。いまのところこの一冊だけですが、将来また何か本を書けたらと思っています。
芸術は独りぼっちの僕たちを慰めてくれる
——東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者として活動していらっしゃる日本では、状況はいかがですか?
バッティストーニ 一緒に働いているスタッフが教えてくれたことによると、やはり若い観客は増えているそうです。指揮者が若いから行ってみようかな?と思ってくれる人たちがいるのかもしれません。
もしくは、ぼくが提案する曲目がカラフルで面白いからかも(笑)。でも、それも助けになると思っています。オーケストラは真面目くさった曲だけではなく、楽しい曲もたくさんあるのだと知ってもらうこと。例えば〈午後のコンサート〉というシリーズで演奏する曲目は素直に楽しめるものが多いと思うのですが、そのせいか若い聴衆も増えてきているようです。
もちろん、〈午後のコンサート〉には年配の方も多くいらっしゃっています。一つ言っておきたいのは、ぼくの本のイタリア語の原題は「Non è musica per vecchi(直訳すると「年寄り向きの音楽じゃない」という意味)」というのですが、これはもちろん年配のお客さんに敵対する姿勢で書かれたものではありません。シニア世代にもコンサートにはどんどん来ていただきたいです。言いたかったのは、新しい世代の聴衆にも働きかけなければいけないということなんです。
新しい観客は新しい力になります。クラシック音楽を勉強している若者はたくさんいます。若い世代の優れた音楽家も多い。増やさなくてはならないのは聴衆です。音楽を聴いて感情を揺さぶられることは人生を豊かにする、ということをみんなに理解してもらいたいのです。
特に現代のようにテクノロジーが発達した時代に、芸術を通してさまざまな感情を学ぶのはとても大事なことです。芸術と文化によってのみ感情は育つのですから。もし私たちが社会において富や繁栄のみを追いかけて、人間としての感情をないがしろにしたら、それは真の意味では貧しい社会ではないでしょうか? 自分の利益ばかりを追求して他人を思いやる感情がない人ばかりいたら、人間関係はひどいものになるでしょう。人生の機微を知らない人は、どのような金持ちになっても鬱々と楽しまず、しかもその理由すらわからないかもしれません。
人間は感情の豊かさをもって生まれてくるわけではありません。それは子どものときから学ぶことによって手に入れるものです。だから子どもをアートや音楽に触れさせる情操教育は大切なのです。
人間は何かを感じるときには独りぼっちです。子ども、そして特に青少年は、彼らの内面が成長する過程で、困難に独りで立ち向かわなければいけないときが来ます。そのときに大きな慰めになるのが、自分以外の人々も同じ困難を感じているのだと知ることです。それを本や絵画や音楽が語りかけてくれるもので知ることができるのです。ぼくにとってもそうでした。
一番大事なことは、シンフォニーをたくさん知っているという知識などではありません。ベートーヴェンやメンデルスゾーンの交響曲を聴く人は教養がある人間だ、などという考え方にはぼくは興味がないんです。それよりもこの人たちが書いた音楽が、我々と同じ人生について表現しているんだ、ということを皆に知ってもらいたいんです。
無理せずに、自分のペースでクラシックを
——このWebマガジン「ONTOMO」は、20代から40代の、クラシック音楽に興味はあるけれど踏み込めないでいる方たちへ、と銘打っています。そんな方々にクラシック音楽への近づき方をアドヴァイスしていただけますか?
バッティストーニ ぼく自身、子どもの頃は〈クラシック音楽〉は好きではありませんでした。ぼくにとって大きな転機が訪れたのは、交響曲の存在を知ったことでした。だからみなさんにも大きな編成のオーケストラの曲をお薦めしたいですね。作曲家としてはマーラー、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフなど。ロマン派の大編成のオーケストラ曲は、音色が多彩なだけでなく、ストーリーがあるものが多いので理解しやすいという面もあります。最初に聴く作品としては、このような大掛かりな曲がお薦めです。
そこから曲を増やしていくにあたってぼくが大事だと思うのは、自分のペースを守ったほうがいい、ということ。有名な作曲家を聴いてもすぐには好きになれないことがあると思うし、その場合は少し脇において、2、3年たった後でもう一度聴いてみたらその作曲家が好きになる、ということもあると思います。
音楽は時間をかけて近づき、ちょうど良いタイミングで聴いたほうがいい。ある作品が好きではなくても、それはあなたのせいでも作曲家のせいでもありません。またいつかその曲と出会うことがあるかもしれない。音楽にはたくさんのジャンルがあります。だから自分が好きかな? と思うところから始めてみてください。
古典派が好き、ロマン派が好き、あるいは20世紀の音楽はカッコイイ、もしくは現代音楽に惹かれる、など、好みは人それぞれです。だから自分には難しくて無理だ、とは思わないで、好きそうなところから少しずつ近づいていく、というのがいいと思います。
アンドレア・バッティストーニ指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
グスタフ・マーラー: 交響曲第1番《巨人》 ~ 第2楽章
マエストロである前に人間だ!
——あなたの本の中で〈マエストロ〉という言葉の説明に、「作曲家やオーケストラの指揮者に対する芸術界での敬称。一方、あらゆるプロの演奏家には、〈プロフェッサー〉という肩書きがふさわしいとされます。すべての音楽家を名前で呼ぶことにすればいいのに。」という記述があります。いまでもそう思われますか?
バッティストーニ そうですね。オーケストラのメンバーも指揮者もそれぞれ重要な役割を果たしているけれど、それをやっているのは人間なんだ、ということを忘れないのは大事だと思います。
オーケストラのメンバーはPLAYのボタンを押せば演奏がスタートする機械ではありません。その日、体調が悪かったり、家庭に問題があったりしながら会場に来て演奏をしている場合だってあるのです。
要は相手とコミュニケーションすること、一緒に楽しい音楽の経験を共有することです。名前で呼びあえば誰でも友達さ、というような単純なことではなく、1人1人の音楽家が集まってオーケストラというものが出来上がっているのを理解することです。指揮者は実は音を発していませんから、メンバーの力を借りなくてはならないのです。一緒に演奏するのなら、それがお互いにとって一番幸せな状態で実行されたほうがいいですよね。
——指揮者だって、あまり調子が良くない日でも大勢を前に指揮をしなくてはいけませんね?
バッティストーニ それが仕事ですから。可能な限り良い結果を出す必要があります。でも人間なので、いつも完璧にはいきません。いずれにせよ、芸術や音楽には完璧ということは存在しません。それにぼくにとっては、演奏が完璧かどうかよりも、自分の理想をどう表現できているかのほうが大切なのです。コンサートの最中に音が1箇所外れたとか、弦が1本切れたとかは起こりうることです。演奏会はライブですから。
現代の我々は録音を聴くことに慣れすぎています。録音は完璧を目指して作られたものです。でも、ライブは間違いがあったり、携帯電話が鳴ってしまったりということがどうしても起こります。
本当はマナーなんて...... クラシックは怖くない
——クラシック音楽の初心者が、なにかマナーで失敗したらと心配でコンサートに来なくなったら、そのほうが残念です。
バッティストーニ その通りです。そういう意味では拍手の問題、というのもありますよね。楽章間で拍手をしようとする観客を他の観客が黙らせることがあるじゃないですか。「パチパチパチ」「シーッ」って。完全な静けさの中で完璧な音楽を聴きたいのなら、その人は家で録音を聴いていればいいんです。演奏された音楽が気に入ったら、そこで拍手したっていいじゃないですか。
実際のところ、現代では拍手をするべきではないとされる箇所、例えば楽章間などで拍手をするのは当時はあたりまえでした。拍手が多ければ曲の途中でその楽章をアンコールしたりしていた。音楽会は活気に満ちていたんです。
それに、いくつかの曲では途中での拍手はまさに作曲家の想定内です。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」では第3楽章の後では拍手すべきなんです。そのように書かれているんですから。観客が拍手したい! と思った瞬間は、常に正しい瞬間だと思います。
そういえば、滞在中に新国立劇場でベートーヴェンの『フィデリオ』を鑑賞したときのこと。序曲の後で拍手をしたのは、ぼく一人でした(笑)。とても美しかったし自然に出てしまったのですが、誰もついて来てくれなくて寂しかったです。「あれ、やっちゃったかな?」って(笑)。
——クラシック音楽を怖がらないで、ということですね?
バッティストーニ そうです。音楽を怖がらないでください。恐ろしいことは何もないですよ。ぼくが保証します(笑)。
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