読みもの
2023.10.26
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 17

小さな声にソウルが宿る、ピアノ弾き語りの走りとなったブロサム・ディアリー その貴重な音源がCD化された

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。

Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2023年10月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

イラスト: 酒井恵理

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ソフトなジャズだがなぜか耳に残った

子どものころに聴いていたのに、その後何十年もの間その存在を忘れてしまっていたレコードのことを、何かの拍子に突然思い出すことがありますね。たいていその場合は自分が持っていたのではなく、誰かの家で聴いたとか、そういう状況が多いと思います。

先日国内盤のCDがうちに届いた『Sweet Blossom Dearie』は無性に懐かしかったです。たぶんぼくの母が持っていたのではないかな。1967年の作品ですが、その時期にぼくが聴いていたロック、ソウル、ブルーズなどとはだいぶ違うソフトなジャズにもかかわらず、なぜか印象に深く残っているレコードです。

ブロサム・ディアリーは比較的音数の少ないピアノを弾きながら声量のない、若干子どもっぽい高めの声で歌います。そう書くとあまり魅力がなさそうですね。でも、逆です。聴いているうちにどんどん引き込まれていく、とてもヒップな雰囲気を持っています。

アルバムはロンドンの老舗のジャズ・クラブ、ロニー・スコッツでのライヴ録音です。ブロサム・ディアリーはアメリカ人でしたが、彼女のキャリアが一段と勢いづいたのが彼女がロンドンに滞在した60年代後半だったようです。ブロサムがすでに40代になっていた時期です。

『Sweet Blossom Dearie』

芸名(愛おしき花ちゃん)だと思っていたのはなんと本名でした。父はスコットランド系で母はノルウェイ系だったそうですが、二人とも最初の相手を亡くした後に再婚、息子がすでに4人いる家庭に生まれた女の子の誕生日(1924年4月28日)にその息子たちが庭から洋梨の花を持ってきたことがきっかけでブロサムという名前がついたのだそうです。幼児のころから親の膝の上に座ってピアノでちゃんとしたメロディを探る子だったと言います。

高校を卒業した後ブロサムは音楽の道を追求すべくニューヨークへ。3年間毎晩ジャズ・クラブのバードランドに通い、誕生したばかりのモダン・ジャズの巨人たちの演奏に浸っていました。52年に出たキング・プレジャーの有名な「Moody’s Mood for Love」の後半で聴ける女性の声がブロサムだったことを、ぼくはついこの間知ったばかりですが、当時からそれがよく知られたことらしく、彼女の評判はそこから本格的になったそうです。

大好きだった番組でたぶん彼女の歌と演奏に初めて触れた

そのころのライヴを聴いたフランスのプロデューサー、エディ・バークレイの誘いで、友だちのアニー・ロスと一緒にパリに渡り、約5年間パリを拠点に活動しました。ジャズ・ピアニストは多く、ジャズ歌手も多いですが、ピアノを弾きながら歌う女性は比較的少ない存在で、パリにいる間にブロサムのスタイルが少しずつ広まっていったそうです。

57年にアメリカに戻り、プロデューサーのノーマン・グランツが立ち上げたヴァーヴ・レコードと契約したものの、しばらくして経営陣に変化があって彼女の居心地が少し悪くなったようです。その後キャピトル・レコードと契約し、オーケストラをバックにしたアルバムを作ったのですが、自分のピアノの存在が薄いと感じていたところ、アニー・ロスが1965年にロンドンで自分のクラブを開店し、ブロサムに出演のオファーをしたのです。その直後に当時のイギリスで大人気のテレビ番組にゲスト出演しました。

『Not Only…But Also』はコメディアンのピーター・クックとダドリー・ムアによるコントの番組で、後のモンティ・パイソンにもつながる要素がありましたが、その後映画俳優としても有名になったダドリー・ムアはジャズ・ピアニストとしてもかなり才能があり、番組でもよく弾いていました。ぼくが大好きだったこの番組でたぶんブロサムの歌と演奏に初めて触れたはずです。

彼女がロニー・スコッツに出演するようになったのはその少し後、1966年です。トリオ編成のライヴ・アルバム『Blossom Time』と『Sweet Blossom Dearie』を続けて発表し、その後スタジオ録音の『Soon It’s Gonna Rain』(1967年)と『That’s Just The Way I What To Be』(1970年)を出しました。レパートリーはジャズのスタンダードもありますが、60年代の曲もかなり取り上げています。彼女が特に好きだったのがバート・バカラックとアントニオ・カルロス・ジョビンのようで、どちらの曲も複数歌っていますし、彼女の独特の雰囲気に非常に合っています。

「マイ・フェイヴァリット・シングズ」のピアノを聴くと

今回イギリスのフォンタナ・レーベルで発表されたこの4枚のアルバムが日本で紙ジャケットのCDで復刻された他、同じ時期の録音で当時未発表だった音源を集めた2枚組の『Feeling Good Being Me: The Lost And Found London Sessions』があります。

こちらでもバカラックやジョビンの曲もあり、ブロサム自身も自作を積極的に作るようになっていました。またデモだけだったのがもったいないと思うジョージ・ハリスンの「サムシング」も歌ったり、「マイ・フェイヴァリット・シングズ」の冒頭のピアノを聴くと間違いなくブロサムがジョン・コルトレインのヴァージョンを聴き込んでいることが分かります。

因みにこのアルバムの解説によると、ピアニストの彼女の影響を受けたと語るのがビル・エヴァンズです。コードの中で4度の音を使うことについて訊かれた彼はブロサム・ディアリーの演奏でその音が印象的で自分で真似したと言います。

2009年に84歳で亡くなったブロサムのことをマイルズ・ディヴィスも気に入っていたそうです。ソウルのある唯一の白人女性、本当に言ったかどうか定かではありませんが、彼女の小さな声にソウルが宿っていたことは確かです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

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