アカデミー賞ノミネート『COLD WAR あの歌、2つの心』レビュー

冷戦に引き裂かれた恋人たちを描く『COLD WAR あの歌、2つの心』――ポーランドの民謡とパリのジャズ

読みもの
2019.07.09

アカデミー賞にもノミネートされ話題となったポーランド映画『COLD WAR あの歌、2つの心』。冷戦下で東西に引き裂かれた恋人たちのストーリーを美しいモノクロの映像と音楽で描き、映画ファンだけでなく音楽ファンの間でも話題になっている。
当時、なぜジャズは禁じられていたのか? ジャズ・ベーシストの小美濃悠太さんが、音楽方面から本作をご紹介。

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小美濃悠太 ベーシスト
小美濃悠太
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1985年生まれ。千葉大学文学部卒業、一橋大学社会学研究科修士課程修了。 大学在学中より演奏活動を開始し、臼庭潤、南博、津上研太、音川英二など日本を代表する数々のジャ...

映画を見るのは、年に1回あるかないか。興味のある映画はあるけれど、そこは私もミュージシャンの端くれ、映画を見るヒマがあったら練習しよう、と素早く家に帰るタイプである。もちろん、帰ってからは練習したい譜面を思い浮かべながら缶ビールのプルトップを引き上げ、実際に譜面が並ぶ頃には缶が空になり、続きは明日にしようか、ということになるタイプでもある。

それがどうしたことだろうか。2018年11月に開催されたポーランド映画祭で詩情溢れる作品『顔』と『ゆれる人魚』を見てからは、興味のある映画はできるだけ見ておこう、というタイプの人間に変貌してしまったのである。

そんな中、何が何でも見に行かなくてはならない、というポーランド映画が公開された。それが今回取り上げる『COLD WAR あの歌、2つの心』だ。

音楽映画として楽しむ『COLD WAR あの歌、2つの心』

タイトルは「コールド・ウォー」だが、冷戦ものの映画ではない。またラブストーリーではあるが、甘い愛の幸福を描く作品でもない。音楽によって結ばれた男女が、幾度となく時代によって引き裂かれながらも、なお美しく愛を燃え上がらせるストーリーとなっている。2人の主人公は、ジャズを愛するピアニストと、天賦の才能をもつシンガーだ。

映画ファンは、既にこの作品はチェック済みだろう。第91回アカデミー賞ノミネート(監督賞・撮影賞・外国語映画賞)、第71回カンヌ国際映画祭 監督賞受賞、そのほかにも数々の栄誉に輝いた作品である。

パヴェウ・パヴリコフスキ(監督)© Opus Film and Apocalypso Pictures.
ウカシュ・ジャル(撮影)© Opus Film and Apocalypso Pictures.

しかし、この作品を映画ファンだけのものにしておくわけにはいかない。われわれ音楽愛好家は、これを男と女の物語としてだけでなく、歴史や男女の情念から成る万華鏡の中で美しく姿を変える「あの歌」の物語として楽しむこともできるのだ。

「禁じられた音楽」としてのジャズ

時代背景を説明する描写が徹底的に省かれていることがこの作品の美しさを際立たせているのだが、ストーリーを理解するには、主人公やポーランドという国が置かれた当時の状況を多少知っておく必要がある。パンフレットには時代背景がわかりやすく解説されているので、こちらを読むことをお勧めしたい。音楽についても、同じくパンフレット内のオラシオ氏の解説が詳しい。

 

最低限知っておきたいことを、以下に簡単にまとめておこう。

冷戦下のポーランドとパリが主な舞台となるこの作品。主人公のひとりヴィクトルは、国立の民族音楽舞踊団のピアニストでありながら「西側の音楽」であるジャズを愛していた。
社会主義国家であるポーランドにおいては、西側で生まれたジャズは演奏することも聴くことも許されない、禁断の音楽であった。したがって、ピアニストとしてジャズを演奏するためには、祖国ポーランドを捨てて西側諸国へ亡命しなければならない。
ヴィクトルが所属する国立民族音楽舞踊団では、自国の伝統的な民謡や踊りを各地で収集し、歌や踊りの才能を持った若者を集めた舞踏団に演じさせる。本来は純粋な文化の発掘と保存、継承のために行なわれていたであろうその活動が、作中では徐々に社会主義のプロパガンダの色を帯びていく。

民謡からジャズへ

芸術作品としての民謡

ポーランド民謡の収集や上演をめぐる政治的な事情はさておき、作中で耳にするポーランド民謡の美しさにはきっと耳を奪われることだろう。ポーランドの伝統的な音楽は、マズルカに代表される歌い踊るものの印象が強いが、キーワードとなる「あの歌」は女性コーラス作品として登場する。

ショパンがマズルカをモチーフにたくさんの作品を残したように、ここでも民謡は劇場でオーケストラとともに演奏される芸術作品へと昇華されている。モノクロの映像で見る舞踏団の厳しい練習の様子は、当時のポーランドで生きることの息苦しさを象徴しているが、一方でその訓練によって得られた美しいハーモニーには、ポーランドの音楽文化の豊かさを感じずにはいられない。舞踏団が劇場で歌い踊るシーンは、ストーリーとは別にハイライトとなるシーンの1つだろう。

対照的なエネルギーをもつジャズ

舞台はパリに移り、クラブでジャズが演奏されるシーンへ。この瞬間のエネルギーたるや! ドラムイントロから始まるクインテットの演奏には鳥肌が立った。これはぜひ映画館で味わっていただきたい(民謡のシーンも同様)。間違ってもスマホとイヤホンで聴いてはいけない。

このシーンでは、ポーランドの抑圧された空気感とは対照的な、ジャズの開放的なエネルギーが強調されている。個人的には、一気に熱量が上がるこのシーンのためだけにもう一度映画館へ足を運びたいくらいだ。

この民謡とジャズの対比が、言葉なしに時代背景を語っている。そして、それが時代に翻弄される主人公たちの愛をより象徴的に浮かび上がらせる美しいバックグラウンドとなっているのだ。

ポーランドジャズにとって伝統音楽は欠かせないもの

ストーリーが進むにつれて音楽も民謡からジャズへと移り変わっていくが、「あの歌」は形を変えて歌われる。民謡が美しいジャズバラードにアレンジされて演奏されるパートもまたこの映画のハイライトなのだが、伝統的な音楽をジャズミュージシャンが取り上げるのは珍しいことではない。とりわけ、ポーランドジャズにとっては伝統音楽は特別な意味をもっている。
日本人が「○○節」をちょっとアレンジしてみました、というものとは事情が違う。ここに、ポーランドジャズの独特な個性と魅力があるのだ。

その代表例として、日本人ピアニストの小曽根真氏との共演歴もある世界的なシンガー、アンナ・マリア・ヨペックが挙げられる。彼女は国立民族歌謡舞踏団の団員を両親に持ち、2018年の作品「Ulothe」ではまさにポーランド民謡をインスピレーションとして作られたものだ。

マルチン・マセツキの脅威

さて、この素晴らしいジャズ演奏やアレンジは誰が手がけてるのか、と気になるのは当然のことだ(職業病)。近年話題になった、主人公がジャズを演奏する某作品では正直あまり興味が湧かなかったのだが、『COLD WAR あの歌、2つの心』で演奏されるジャズは存在感のレベルが違う。

エンドロールで流れる”Jazz and song arrangements”には、ポーランドの奇才マルチン・マセツキの名が! まさか彼が映画音楽を手がけるとは、とすっかり驚いてしまった。どう奇才なのかといえば、

・アップライトピアノでラグタイムジャズばかり演奏する
・耳が聴こえなかったとされるベートーヴェンの感覚を再現するためにヘッドホンで耳を塞いでベートーヴェンの作品を演奏する
・ブラスバンドを率いる(本人は指揮と作曲を担当)
・前衛テクノポップ?

さまざまなプロジェクトを横断して才能を発揮する、常識の範囲にはまったく収まらない超個性的な音楽家である。彼がモダンジャズのアレンジや演奏を手がけていることにも驚くし、さらにその素晴らしさにも驚く(奇才だから納得もする)。

マセツキの演奏の中で、私のお気に入りはこの映像。

ベースとドラムのシンプルなグルーヴの上で、アップライトピアノとチープなオルガンを使って演奏するマセツキは、奇才としか言いようがない。解析不能なバランス感覚とセンスが生む演奏には心地よさと驚き、緊張感を同時に感じる。
もう1人の主人公であるズーラが初めてジャズに触れるシーンの「アイ・ラブス・ユー・ポーギー」は、シンプルな演奏が曲の美しさ、ズーラの声の透明感を際立たせる。前述のジャズクラブのシーン、そして「あの歌」のジャズアレンジは、いずれも彼の奇才ぶりからは想像できないストレートなモダンジャズに仕上げられており、しかも鳥肌級のカッコよさなのだ。

「冷戦」や「ラブストーリー」といったキーワードに注目してしまいがちなこの作品だが、実は音楽が非常に重要な役割を果たしていて(パヴリコフスキ監督もそう語っている)、また魅力的なものとなっている。音楽を愛するONTOMO読者諸兄にも、ストーリーだけでなく音楽が大きな感動と余韻を残すことは間違いない。さらに、音楽を味わった上で見る、音楽のないラストシーンの美しさは、きっと忘れられないものになるはずだ。

『COLD WAR あの歌、2つの心』

6/28(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

配給:キノフィルムズ
公式サイト:https://coldwar-movie.jp/

監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
脚本:パヴェウ・パヴリコフスキ、ヤヌシュ・グウォヴァツキ 
撮影:ウカシュ・ジャル
出演:ヨアンナ・クーリク、トマシュ・コット、アガタ・クレシャ、ボリス・シィツ、ジャンヌ・バリバール、セドリック・カーン 他

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