古代オリンピックには芸術種目が! 音楽の神アポロンを讃え、平和を祈るデルポイの大祭
古代オリンピックには「芸術」種目があったのをご存知ですか? 正式にいえば、それはオリンピアで開催されたオリンピックではなく、デルポイで行なわれた競技会「ピューティア大祭」。音楽の神であり、さまざまな芸術の題材になってきたアポロンを讃えるお祭りでした。フォトジャーナリスト若月伸一さんの取材と文でお送りします。(取材は昨年行なわれたものです)
1970年渡欧、パリ大学にて美術史、グレゴリオ大学で初期キリスト教考古学とキリスト教美術などを学ぶ。欧州で美術全集などの取材、編集に携わった後、ドイツ、フランスをベー...
全部で4つ? オリンピックに並ぶ古代ギリシャの大祭
古代オリンピックは、今から3000年ほど前、紀元前776年にギリシアのオリンピアで始まったと言われる。伝説によれば、全能の神ゼウスの息子へラクレスが、約束を守らなかったエリス王アウゲイアスと戦ったあと、勝利を祝ってオリンピアに祭壇を設けて生贄を捧げ、競技会を始めたと言われる。
古代ギリシア時代には、オリンピアのほかにも、ネメア、イストミア、デルポイでも大祭が開催され、全ヘラス(ギリシア)人の四大大祭と呼ばれていた。
ネメアはオリンピアと同様にゼウスへ、イストミアは海神ポセイドンに、デルポイは太陽神アポロンに捧げた大祭だった。デルポイの競技会は、デルポイで巫女ピューティアが神託を授けていたことからピューティア大祭と呼ばれ、音楽の神を讃えるものであった。
ミューズたちが住む神殿デルポイ
デルポイは、アテネから西北へ約180キロメートル。アポロンを祀り、芸術の神々ミューズが住むパルナッソス山の中腹に位置する。
今日のデルポイの町は、幹線道路に面して細長く発達している。町の東外れにデルポイ考古学博物館があり、その裏側の山の中腹にデルポイの神域の遺跡がある。
神域に入ると、アポロン神殿に続く聖なる道に沿って、多くの都市国家がアポロン神の神託に感謝して奉納した財宝の蔵、スパルタ宝庫、シキュオン宝庫、シフノス宝庫、テーベ 宝庫、アルゴス宝庫の廃墟が続く。
唯一、昔の姿に復元されている建物がアテナイ宝庫(20世紀初頭に再建)だ。遺跡の間をさらに上って行くと列柱が美しいアポロン神殿がある。
ゼウスはオリンポスの山から反対方向に二羽の鷲を放ち世界の中心地、臍を捜させた。二羽の鷲は世界を飛び、再び巡り合った場所がデルポイであった。そこにはオンファロス(臍)と呼ばれる石像が置かれた。 現在考古学博物館に展示されている臍像は、ヘレニズム時代に作られた二代目とされる。
音楽を司る神アポロンを讃えた芸術のオリンピック
アポロンは予言の神、詩歌や音楽などの芸能・芸術の神、羊飼いの守護神、光の神であったことから太陽神ともなった。多くの神を兼任していたアポロンであったが、デルポイでは音楽の神として重要視され、音楽の競技などが、神殿の上にあるアンフィテアトロ(半円形劇場)で開催された。
アポロンは、全能の神である父ゼウスから幼い頃に黄金の竪琴を与えられ、弟ヘルメスからも亀に弦を張った竪琴を貰った。竪琴の名手として成長したアポロンはある日、アウロス(二管笛/根本から2本に分かれたダブルリード管楽器)の、世界一の演奏家と豪語していた山の精シレノスのひとり、マルシュアスとの腕比べに挑んだ。
アポロンは演奏途中に竪琴を逆さまにして演奏し、マルシュアスに同じように笛を逆さまにして吹くことを強要したところ、それができなかったために、審判の芸術の神様たちミューズたちは、軍配をアポロンに上げ、世界一の楽器の演奏家、音楽の神様となった。
この出来事を讃えたデルポイ大祭の音楽コンクール。当初は楽器の演奏だけであったが、後にキタラ(大型の竪琴)、フルートが伴奏した歌唱コンクール、演劇、詩の朗読、絵画なども加わった。
競技会開催中は「平和」を宣言
アンフィテアトロのさらに上にスタジアムがあり、短距離走が競われた。当初、短距離走のみで、その距離が1スタディオ(192メートル/スタディオはスタジアムの語源)だったのもヘラクレスがひとっ走りした距離とされる。古代のギリシア人は、1スタディオが人類がもっとも速く走れる距離と想定していた。現在も100メートル走よりも200メートル走のほうが速いことを考えると古代のギリシア人の慧眼には驚かざるを得ない。
幹線道路を挟んで神域の反対側の下方に体操競技場、女神アテナの神殿の遺跡などがある。馬に車(シャリオ)を曳かせた戦車競技は海に近い平地のクッサリアで開催されていた。
競技会の勝利者は、他の大祭ではオリーブの枝で作られた冠が与えられていたが、ピューティア大祭だけはアポロンの聖樹が月桂樹であったことから勝利者には月桂冠が贈られた。音楽の神アポロンに奉納した大祭では、鳴り物入りの応援も禁止されていた。
大祭の会期は、農閑期の夏で、夏至の後の満月の日が大祭開始日とされていた。当時ギリシアには約1000の都市国家(ポリス)があり、戦争が絶えなかったために、大祭の期間中、当初は1ヵ月、後に3ヵ月の休戦期間が設けられた。休戦条約を破ると多額の罰金が科され、次回の競技会への参加が認められなかった。
3ヵ月の大祭期間中は聖なるデルポイの平和が宣言され、参加者、観客全員が安全にデルポイを訪れ、安全に帰国できることが保証された。大祭期間中、デルポイには多くの詩人、芸術家が集い、デルポイは文化、芸術の重要な交流の場となっていた。
世界の美術に現れるアポロン
このピューティア大祭で祀られている神「アポロン」は、後世の美術・芸術でも頻繁に現れるモチーフとなっている。各地の美術館に収められている、アポロンにまつわる美術作品をご紹介しよう。
ボルゲーゼ美術館のベルニーニ作「アポロとダフネ」
ヴァチカン美術館「ベルベデーレのアポロン像」
ヴァチカン美術館内のピオ・クレメンティーノ翼に所蔵
大英博物館所蔵「キタラを持つアポロン」
大英博物館所蔵。
オペラ・ガルニエ宮、屋根頂上のアポロ
ストラヴィンスキーのバレエ『ミューズを率いるアポロ』
ロシアの作曲家イゴール・ストラヴィンスキーが1928年に作曲したバレエ音楽。アポロと、彼に使えたミューズたち(文芸を司る女神)が描かれる。
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