読みもの
2025.08.15
趣味の蝶収集から同時代音楽への挑戦、日本作曲家との交流までたどる

ピアニスト・ギーゼキング〜独学で磨いた才能と感動の来日公演

独学でピアノと読み書きを身につけ、春夏は蝶の採集に没頭……そんな型破りな少年時代を過ごしたヴァルター・ギーゼキングは、やがて20世紀を代表するピアニストとして名を馳せました。ドビュッシーやラヴェルの名演で知られる一方、同時代の作曲家の作品にも積極的に取り組み、日本人作曲家・尾高尚忠と交流した逸話も残っています。天才ギーゼキングの人生と、その知られざる日本との縁を辿ります。

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

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学校も行かず、ピアノも独学した蝶マニア

ヴァルター・ギーゼキング(1895〜1956)は、高度なテクニック、美しい音色、そして卓越した分析力に基づく明晰な解釈を備えた偉大なピアニストだった。

彼の少年時代のエピソードは、個性的な人の多いピアニストたちの中でもとくに型破りなものだ。音楽院に入るまでピアノはほぼ独学、しかも、父親譲りの蝶好きで、春夏は毎日野山に出かけていたので、ピアノを熱心に弾くのは冬の間だけ。また、学校にはまったく行かず、読み書きも独学だった。

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第一次大戦に従軍後、ピアニストとして世に出たギーゼキングは、すぐに有名になった。しかし、第二次大戦中はドイツにとどまったため、戦後はナチス協力者の疑いをかけられる。だが戦後、徹底的な調査の結果、彼は、ナチ党員であったことも、ナチスが支援するどんな組織にも所属していなかったことが判明、無罪放免となった。おそらく、音楽と蝶のこと以外はあまり関心がなかった人だったというのが真実であるように思われる。

ヴァルター・ギーゼキング
(1949年撮影)

録音は戦前からかなりの数が残っている。特異なものとしては、第二次大戦末期の1945年1月にドイツで演奏した、ベートーヴェン《皇帝》がある。これは、当時実験段階にあった珍しいステレオ録音であるうえ、第2楽章終わりの静かな部分で高射砲の音が聞こえるということでよく知られている。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番《皇帝》
アルトゥール・ローター指揮 ベルリン放送交響楽団

卓越した読譜&暗譜力で、同時代音楽の演奏も

さて、ギーゼキングは、存命中からドビュッシー、ラヴェル、モーツァルトなどの名演で知られていた。しかし、超人的な読譜、暗譜能力の持ち主だった彼が、同時代の作品を積極的に演奏するピアニストだったということは、それほど知られていないかもしれない。特に20代のころは、スコット、マルクス、ブゾーニ、コルンゴルト、スクリャービン、ヒンデミット、シェーンベルクなどの同時代音楽をよく弾いていたそうだ。

ヒンデミット:四つの気質
ヴァルター・ギーゼキング(ピアノ)、ヴィンフリート・ツィリヒ指揮 フランクフルト放送響

残念ながら、残っている録音は少ないが、彼が初演したプフィッツナーやマックス・トラップのピアノ協奏曲のライブ録音は聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれない。

プフィッツナー:ピアノ協奏曲
ヴァルター・ギーゼキング(ピアノ)、アルベルト・ビットナー指揮 ハンブルク国立管弦楽団

ギーゼキングと日本の関わり

そしてギーゼキングは、実は日本人の作品も弾いている。尾高尚忠(191〜1951)の《小奏鳴曲(ソナチネ)》Op.13(1940)という曲だ。NHK交響楽団の前身である新交響楽団の指揮者として活躍した尾高は、優れた作曲家でもあった。尾高忠明氏の父君であることはご存じの方が多いだろう。

尾高尚忠:ソナチネ
湯口美和(ピアノ)

ギーゼキングと尾高は旧知の間柄だった。1939年、ウィーン留学中だった尾高尚忠と、夫人でピアニストの尾高節子(みさおこ)は、ウィーン音楽アカデミーピアノ科の若手教員たちとともに、ギーゼキングの演奏会を聴きに行った。演奏会のあと、彼らが近くのレストランで興奮を語り合っていると、そこへひとりで現れたのは、ギーゼキングその人だった。

思い切って誘ってみると、ギーゼキングは快く承知、大歓声の中、彼らのテーブルに加わった。彼らの質問攻めに、大ピアニストはなんでも親切に答えてくれた。翌年公演が予定されていた日本についても話をした。ギーゼキングは翌朝4時の飛行機でウィーンを発つ予定だったにもかかわらず、彼らが店を出たのは午前1時ごろだった。

だが、戦争で日本公演は流れてしまった。戦後、日本を代表する音楽家として活躍していた尾高も、多忙がたたり、1951年、39歳の若さで世を去ってしまう。ギーゼキングが生涯にただ一度の来日を果たしたのは、その2年後、1953年のことだ。

彼は全国各地でリサイタルを行ない、NHK交響楽団と6曲の協奏曲を演奏した。尾高の作品が演奏されたのは、離日の前日、4月10日の送別演奏会でのことだ。この日のプログラムは、ベートーヴェンのピアノソナタOp.101、シューマンの幻想曲ハ長調、「特別演奏」として尾高尚忠の《小奏鳴曲》、ドビュッシー《ベルガマスク組曲》、リスト《孤独における神の恵み》というものだった。

人柄も魅力的だったギーゼキング

当時アサヒビールの広告課員で、のちにエッセイスト・司会者となった三國一朗が、日本でのギーゼキングの様子を書き残している。ギーゼキングはTBSのスタジオでも演奏したのだが、この放送のスポンサーがアサヒビールで、「あなたの耳に最高の音楽を、あなたのノドに最高のビールを、いつもお贈りしているアサヒビールの提供でした」というコマーシャルを書いたのが三國だった。

ギーゼキングは気さくな人で、練習もあまりしないので手がかからなかったこと、アンコールが何曲も続いても、ギーゼキングは疲れを見せず、顔はバラ色に輝き、満面の微笑だったことなどを生き生きと記したあと、三國はこの文章を、尾高尚忠の作品を弾くギーゼキングのようすで締めくくっている。

彼は、ステージ中央で、物静かに聴衆に語りかけたあと、尾高未亡人を自分のかたわらにすわらせ、旧知オタカの愛すべき小品を、心をこめて弾いた。演奏が終って、ギーゼキングが、未亡人をいたわりながら退いてくるところを、私は下手の照明室から見下ろしていたのだが、このときほど美しい情感にみちたステージを、私は一度も見たことがない。

そのすばらしい演奏で日本の聴衆に大きな感銘を残したギーゼキングだったが、彼もまた日本を大いに気に入り、遠からぬ再来日が約束された。しかし、1955年12月、彼はシュトゥットガルト近郊でバス事故に遭い、夫人が即死、彼自身も重傷を負う。なんとか再起したギーゼキングだったが、1956年10月、ロンドンのスタジオでレコーディング中に倒れ、緊急手術が行なわれたが、そのまま帰らぬ人となった。

番組案内
NHK-FM「マエストロたちの変奏曲」

2025年8月のNHK-FM「マエストロたちの変奏曲」は「ギーゼキング変奏曲」をお送りします。

ゲストは、フランスと日本を拠点に活躍し、ラヴェルのピアノ作品全集を録音、全曲演奏会も行なっているピアニスト、務川慧悟さんです。

放送は全4回、FM放送のほか、らじる★らじるでもお聞きいただけます。

【出演】
解説:増田良介
司会:東涼子
ゲスト:務川慧悟

【放送日時/内容】
8月19日(火)19:35〜21:15
第1変奏「ギーゼキングってどんな人?」

8月20日(水)19:35〜21:15
第2変奏「自然を愛した天才は本当に練習しなかったのか?」

8月21日(木)19:35〜21:15
第3変奏「ギーゼキングがやってきた!」

8月22日(金)19:35〜21:15
第4変奏「ギーゼキングの神髄に迫る」

公式サイトはこちら

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

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