弾かせるだけがピアノ教育じゃない! 音楽の面白さを伝え、音楽を作れる人を育てる「ピアノランド」の精神
ピアノは、現在も人気の習い事の3位に入っている(ミキハウス子育て総研2018年調べ)。15%ほどの子どもたちがピアノを始めている一方、大人になったピアノ経験者から辛かった思い出を聞くことも少なくない。せっかくのピアノ好き、音楽好きの仲間を増やせるチャンス、どう子どもたちに接したらよいのだろう?
累計180万部以上を売り上げているロングセラーの教本「ピアノランド」の著者である樹原涼子さんと、ピアノ教育の現場を取材することの多い飯田有抄さんに、その思いを語っていただいた。
昭和のスパルタ教育とは、いったい何だったのか?
飯田 ONTOMO読者の世代にも、子どもの頃にピアノを習ったことのある人は多いと思いますが、昭和50年代頃のピアノのレッスンといいますと、割と「ピアノの先生=怖い」みたいな言説が多かったと思います。学校教育においても、現代では考えられないような体罰も横行していた時代ですから、日本の全体的な教育の価値観も違っていたとは思います。
しかし、当時は「うまく弾けなくて叩かれた」「楽譜を投げつけられた」「帰らされた」などという話や、「弾いてる途中でピアノの蓋を閉められた」なんていう、ほぼ虐待のようなことまで、当時はありました。
樹原 それ、本当にあってはいけないことですよね……。
飯田 あったんですよ、実際に。私の身内の者を教えていた先生にも、レッスン中に怒りにまかせて楽譜に鉛筆を突き刺した方がいます。それに、実は完全に過去の話でもなく、先生が怖くて泣いて帰ったり、レッスンがつまらないのでやめたという子の話も、近年も聞くことがあります。指導に、「怖さ」って……
樹原 必要ありません!(即答)
飯田 そうですか! やっぱりそうですよね!
樹原 一切必要ありません。根本的に、音楽は神様からの贈り物であり、演奏というアートを通じて音楽を享受することは、大きな幸せです。それをプレゼンするのが先生たちの役割。だから、音楽でストレスを与えるのは絶対に間違いだと思うのです。子どもたちを笑顔にし、心を開かせることは、表現する力への第一歩。ストレスしか与えないということは、伝え方が未熟だということです。そういう指導者は、ご自身が幸せじゃないのかもしれませんね。音楽とつながっていることを幸せと感じていたら、そんなことはできないはず。本来は幸せの連鎖になるはずなのに……。
飯田 ピアノ指導の場で、「自分が習っていた頃と変わっていないですね」という親御さんの声を聞くことがあります。
樹原 先生たち自身が受けた古い時代の教育を、そのまま子どもたちに与えてしまう場合があるのかもしれませんが、時代は変わっています。習ったように教えてしまうと、古い価値観をそのまま押しつけかねない。美意識やセンスも、時代によって変わって行くものです。センスとは、違いのわかる力であり、磨きをかけることができるもの。
ひょっとすると、親御さんのほうが先生たちよりも敏感に時代を捉え、教育の古い価値観にとらわれずに時代を見据えているかもしれない。先生たちは親御さんたちとの対話も大事にするといいですね。
飯田 センスとは、「違いのわかる力」。なるほど!
樹原 音楽によって、誰かにストレスを与え、誰かを不幸にし、音楽を嫌いにさせてはいけません。上達させるために必要な手段だと思っている段階で、間違っていると思います。「ついてこられないほうが悪い」と思うことだけは、指導する立場の方は思わないでいただきたい。同時に、優秀な生徒を勲章やリボンのように扱うこともよくありませんね。
天真爛漫に音楽を奏でる人たちを、世の中に自由に羽ばたかせる。そんなピアノ教育を目指したいものです。
音楽で遊び発見して「自分ごと」にする
飯田 でも、現状のお稽古事としての「ピアノ・レッスン」では、なかなか理想どおりにいかない……というか、30分というレッスンの枠組みのなかで、決められた教科書を決められた順に弾くという内容で、先生も子どもも親御さんも焦っているけれど、それが「なんのため」なのかを立ち止まって考えることもない。そんな現状があるという声を耳にします。
樹原 先生たちにも、親御さんの手前「どんどん先に進ませなきゃ!」っていうプレッシャーがあるのかもしれませんが、そもそも、その一直線なものの考え方を見直したほうがいいのかもしれません。そもそも親御さんのためのレッスンではないし、親は子どもがピアノを嫌いになることを希望してはいない。
子どもたちにとってピアノは、音楽の中に自分が能動的に参加できる部分を見つけたときに、初めて「自分ごと」になる。
半音階を「見つけた」子が目を輝かせながら、「先生面白いでしょう?」と披露してくれたり、「ひとつおきに音を弾くと面白い!」と「見つけた」子が「僕が発見したんだよ!」と得意になって弾いてくれたりします。そんなとき、子どもたちは即興的に、能動的に、音楽で遊ぶ楽しさを経験しているのですから、その時間を大人が遮ってはいけませんね。
即興演奏なんて、子どもにはできない、と思ってしまいがちな先生たちのために、今新しい本も書いているところです。最初はオノマトペを考えるところから始まって、子どもも先生も親御さんも楽しめる本になっています。
樹原 作るというのは、作曲家だけの専売特許じゃない。本当はだれでもできることなんです。
五音音階やモードなど、ピアノのレッスンであまり出てこないような要素も含めて、手を替え品を替え11の方法を学び、12番目の扉をあけると、すべての「合わせ技」ができるようになります。オノマトペとモードを合わせるとか、循環コードとリズムを合わせるとか、3つ、4つと組んでいくと、たちまち自分の世界が生まれていくのです。
飯田 音楽的な遊びの枠組みを提示してあげて、クリエイティブな時間をだれもが持つきっかけになるような本ですね。楽しそう。
樹原 そうやって「自分ごと」として音を創造的に扱っていくと、ベートーヴェンやショパンらの作品に立ち返ったときに、作曲家による語法の違いが、よりはっきりと浮かび上がって感じられてくるのです。ベートーヴェンってディミニッシュが好きなんだ、とか、ショパンって連符が好きなんだ、とか。切り口としては「即興演奏」だけど、分析も楽しくなっていくと思います。
飯田 樹原さんの視野は大きいですね。
樹原 とにかく、音楽を好きになってほしい。楽しさを知ってほしいですね。
「どどどど どーなつ」で開けた子どもへのピアノ指導法
飯田 樹原涼子さんの代表作は、なんといってもロングセラーのピアノ教本「ピアノランド」です。第1巻が発売されたのは28年前。当時のピアノ教育界に対し、どういう思いがあって作られたのでしょうか。
樹原 音大生の頃からピアノを教え始めていたのですが、結婚してすぐの頃、「もうここでダメならやめます」と別の教室から移って来られたり、「今までの教室でうまくいかなかったんです」というお子さんがたくさんいらしたことがありました。
飯田 どういうところで、つまづいていたのでしょうか?
樹原 いきなり弾かせることだけを押し付けられて、楽譜を読む力をつけてもらえなかったケースですね。譜面が読めなければ、やがて限界がきます。
読譜が不得意であっても、即興で遊ぶのが好きな子もいるだろうし、歌が好きな子もいるかもしれない。できる要素をきっかけに伸ばしてもらえたらよかったのかもしれませんが、「ピアノを弾く」ということだけにこだわった指導を受けたのでしょう。その結果、「いつまでも譜面の読めない劣等生」や、ピアノを嫌いになった子ができてしまった。汚い音で鍵盤を叩いたり、指の形がぐちゃぐちゃに崩れていたり、曲の最初からしか弾けなかったり、譜面を逆さまに置いたまま弾き始める子もいました。
お金をかけて、こんなにされちゃった子どもたちを前に、お母様たちは「ここでダメだったら、もうピアノはやめさせます」とおっしゃる。私は、そうさせてしまった同業者であるピアノの先生方の価値観に問題意識を抱きました。子どもたちをなぜこんなふうにしてしまうのだろう? と。先生たちは、果たして本当に音楽を愛する人を増やそうと思っているのだろうか? と。
飯田 当時、樹原さんは20代ですよね。言わば駆け出しの頃にそういう意識を持っていたのですね。
樹原 若いなりに、ふつふつと疑問や苛立ちや使命感が湧いてきたのです。
あるお子さんは、「バイエルの70番くらいまで進んだ」というところで私のもとに来ました。しかし、楽譜を指差してもまったく音符を読めない。なぜこれまでついていた先生は、この子がまったく譜面が読めていないことに気付かずに、バイエル70番まで進めてしまったのか。よく根性だけで、ここまで付いてこられたなぁ、頑張ってきたんだなぁと思うと、本当に健気でかわいそうになりました。
そこで、その子のために、ドを弾くだけの曲を作りました。ドだけでもこんなに楽しいよ、きれいな音のド、こんがり焼けたドーナツのド、ねずみさんのドーナツのド、どんなふうに弾く? そう問いかけながら、右手4つ、左手4つ、次は2つずつ代わり番こで……と、書いた譜面を目で追わせながら、ドを弾かせます。その子はそこで初めて8小節「読む」ことができたのです。読めたんだから、今度は先生と一緒に弾けるよね、と私が連弾で伴奏をつけてあげたら、その子はとーっても嬉しそうでした!
それが、ピアノランド第1巻の最初の曲「どどどど どーなつ」が生まれた瞬間です。
飯田 そういうことだったんですか!
樹原 「あなたは自分で譜面が読めたし、きれいな音でドが弾けました。じゃあ、これから私はあなたのために、1個ずつ音を増やして、あなたのための曲を書いていくからね。どんな音符も読めるようにしてあげるよ」
そう伝えると、その子は本当に幸せそうでした。
そして、レッスン室からその子が帰っていった瞬間、私の目の前にパーッと一本道が見えた気がしました。中央のドから両側に音を広げ、リズムも、和音も、楽しい伴奏もついた曲を、生徒と一緒にひとつひとつ作ろう、と。
飯田 そこから一曲一曲、子どもたちに愛される曲を書かれていったのですね。
樹原 ピアノランドは、子どもたちが喜ぶペダルは最初から出てくるし、ロックっぽい曲もあるし、8小節だけどミュージカルのような曲もあります。一人ひとりの子どものことを思いながらどんどん書いていったら、多くの子どもたちが食いついてくるようになった。本気で一人のために書いたものは、結果的にみんなのためになる。
イラストやデザインや編集なども友人たちの力を借りて、子どもたちが本当に喜ぶ本ができました。それが結果的に出版していただく運びとなったのです。
幼少期から和音オタク、作曲の理論はあとから学んだ
飯田 市販されている教材ではなく、
樹原 当時、レッスンに使える教材はごく限られていました。個人指導の多くの先生たちが「バイエル」と「メトードローズ」を使っていた頃です。外国の教材にはいろいろありましたが、必ずしも「現代の日本の子ども」に適しているとは思えませんでした。不便だな、それなら自分で作っちゃえ、と。
「教材は買うものだ」と思っていたけれど、選択肢が少ないなら書けばいいと、このときハッと気づいたんです。時代も変わってゆくのだし、なぜ日本で書かれた日本の子ども向けのものがないのだろう、と。そんな思いが私に火をつけたのです。
飯田 音楽大学ではピアノを専攻されていましたよね。曲を書くことはいつからなさっていたのですか?
樹原 子どもの頃からです。あふれてくる思いを即興で弾いたり、楽譜に書きとめたりしていました。きれいな和音を探すのが大好きで、“和音オタク”の子でしたね(笑)。だから、幼稚園の先生が伴奏をドミソでしか弾かないのが、不思議でしょうがなかったですねぇ……。
飯田 では、作曲はほとんど独学という感じ?
樹原 もちろん楽典や和声学などの理論はあとから勉強しました。ただ、理論を学んだから曲が書けるわけではないですよね。生み出す力としくみを知ろうとする力があって、作曲につながるのだと思います。
飯田 音楽大学ではピアノ科に進まれ、作曲科は選ばなかったのですね。
樹原 作曲は「人から習いたくない」と思っていたんです。私はこう感じている、ということを音楽にしたかっただけだから。よく「どこで作曲を学ばれたんですか?」と訊かれましたが、「え……学んでから書くんですか?」と(笑)。
歌も好きでしたが、やはり自分の声で自分の好きなように歌いたかった。だから習いたくなかったんです。
飯田 日本ではなぜか、その人がいつ、どこで、だれのもとで勉強を積んだのか、ということにこだわる人がいますね。でも、いわゆる音楽大学のようなアカデミックな機関では学ばない道を選ぶ音楽家もいる。作曲家には特に多いような気もします。
樹原 書きたいことを書きながら、必要なことを自分で学ぶのがいいですね。アカデミックな教育はもちろんあってしかるべきですが、知識は使いたいタイミングで使えばいい。知識に頼るのではなく。
例えば「この場合はこうすることができる」という理論があると、「この場合はこうしなければいけない」と受け止める人が多くて、「ああ、あそこで勉強したのね」とすぐわかるような展開の曲を作ってしまう。クリエイティブな部分が「そうすべき」となってしまってはいけないと思うんです。そこが難しいですね。
飯田 真面目すぎてしまうのですね。
樹原 やりたいことがあって、そこに選択肢がいろいろあるといい。それは若いころから思っていました。音大を出たあと、ジャズ理論や編曲などを6年間、八城一夫先生のもとで学びましたが、結局、自分がやりたいこと、書きたいことにお手本はない。自分でやって行くしかない。それが作るということの面白さなのではないかと。
その延長線上に「ピアノランド」もあるんです。
飯田 「ピアノランド」は、樹原さんと子どもたちとのセッションの中から生まれたのですね。
樹原 長く愛される良いものを作るには、子どもたちとの接触はとても大切です。だから私は現在も、先生方へのセミナーや本を出版する一方で、子どもたちにも教え続けています。ピアノランドの著者だということを知らずに、フラっと入ってこられる生徒さんもいます。
飯田 まさに、街の音楽教室ですね!
音楽を作る人を、育てる。
飯田 さて、樹原さんは「ピアノランド」を通じて、「ピアノを弾く」ということに特化するのではなく、音楽を愛する人、広い意味での「音楽を作る人を育てる」活動をなさってこられたのだと思います。
昨今では、生徒や先生たちのみならず、広く一般の音楽愛好家にも役立つコード(和音)やスケール(音階)やアルペジオ(分散和音)やモード(旋法)について、楽しく勉強できる出版物も手がけてこられましたね。
音楽のしくみを知ることができる教本
樹原 音楽を作ることができる人を育てる。これはもうずっと思い続けてきたことです! 音楽の面白さを伝えようと思ったら、音型、フレーズ、和音、リズムなどの面白さを教えていくことになり、それは作曲の勉強になるはずです。バイエルなどではどうしても「ピアノを弾くために指を動かす訓練」が中心でしたが、楽器の習得だけを目的としない教本を作りたかったのです。
ピアノランドは「音楽の面白さを伝えよう」というコンセプトですから、伴奏はオーケストレーションを想定しながら各楽器の音色をイメージして書きました。模倣とか拡大とか縮小とか、音型の面白さも伝えています。
その結果、「ピアノランド」を使った子たちに、自分で作曲する子たちが増えていて、作品を募集するプロジェクトなども行なっています。楽譜を買ってきて弾くだけでも、もちろん楽しいけれど、どの分野であっても、「生み出せる人」を育てていかなくては、その分野はいずれ廃れていってしまう。だから、音楽を作れる人を育てずに、音楽教育と言えるのだろうか、と常に自分に投げかけています。
目の前に楽譜がなかったとしても、そこに美味しそうなおやつを見て「おいしそう!」という思いを音楽でさっと表現できたら楽しいですよね。そんなふうに、自分のために、ピアノを弾くということがあっていいのだと思っています。もっとそういう遊びを、子どもたちにしてほしいなぁ。
飯田 自分のために、自分の思いを、音楽で自由に表現できる。あるいは誰かのために、誰かが求めている音楽を、そっとプレゼントしてあげられる。そんな幸せで楽しいことを、みんなができるようになれたら素敵ですね。
年々進化する、ピアノランド・フェスティバル!
飯田 毎年夏に開催される「ピアノランド・フェスティバル」は、ピアノランドの作品を樹原さんとピアニストの小原孝さんの演奏で聴けるほか、最近では歌手や英語教育のプロフェッショナルの方など、さまざまなゲスト出演者を招いて盛り上がっていますね。今年は記念すべき20回目とのこと!
樹原 私が小原孝さんと一緒に「ピアノはこんなに楽しいよ」というのを感じてもらおうと、本気で取り組んできたコンサートです。「ピアノランド」の曲だけを使って連弾をしたり、歌ったり、即興での音楽コントのようなこともやって、静かに聴くところと笑い声が絶えないところとメリハリをつけています。
これまでもダンサーや声楽家の方とコラボレーションしたり、さまざまな取り組みをしてきましたが、今年は昨年に引き続き、NHKの「英語であそぼ」でもおなじみのクリステル・チアリさんに特別ゲストで出演いただきます。彼女が王女様に扮して、ミュージカル仕立てに組み合わせた「ピアノランド」の曲を、英語と日本語で歌っていただき、朗読もついた豪華なバージョンでお楽しみいただきます。
また、ウィーン国立バレエ団専属ピアニストの滝澤志野さんにもご登場いただき、即興演奏の楽しさを伝えてもらいます。
そして、間に合えば……私の新作「ラプソディ第2番」を小原さんと連弾します。間に合うかしら……即興にしますかね(笑)
飯田 息のぴったりあったお2人の新作連弾、楽しみにしています!
日時: 2019年 8月2日(金)13:30開演
会場: 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
出演: 樹原涼子/小原孝、樹原孝之介 ピアノ
特別ゲスト: クリステル・チアリ 、滝澤志野(ウィーン国立バレエ団専属ピアニスト)
料金: 大人 3,500円(ピアノランドメイト会員 3,200円)、子ども 1,800円(ピアノランドメイト会員 1,500円)
※3歳〜高校生まで(3歳から入場可) ※全席自由
問い合わせ: ピアノランドメイト事務局 Tel.03-5742-7542
チケットはこちら
関連する記事
-
リラックス・パフォーマンスが横浜みなとみらいホールで初開催~「違い」を想像する力
-
音楽を学びたいと願うあらゆる人に門戸を開く日本最大級の音楽専門学校「国立音楽院」
-
創立44年 日本で一番歴史のある日本ピアノ調律・音楽学院は国家検定資格取得の最短...
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly