読みもの
2024.08.08
ベーム生誕130年×リヒャルト・シュトラウス生誕160年

指揮者カール・ベームと作曲家R.シュトラウスが育んだ強い友情

20世紀を代表し、日本でも熱烈な人気を誇った指揮者カール・ベーム。彼が、晩年の大作曲家リヒャルト・シュトラウスと強い友情で結ばれていたことをご存知ですか? 自作品の解釈のみならず、ベームの十八番モーツァルトにも影響を与えたという2人の交流を、数々の音源とともに増田良介さんが紹介してくれました。

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

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若き日の指揮者と晩年の大作曲家との出会い

オーストリア生まれの指揮者、カール・ベーム(1894-1981)は、主としてドイツ音楽の演奏において、数々の名演を残した指揮者だ。とくに日本では、妥協を許さない職人的な芸風が多くのファンに愛され、4度にわたる来日公演は熱狂的に迎えられた。

モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、ベルクなど、ベームが十八番にしていた作曲家は多いが、とくにリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の作品において、作曲家自身と親しく、信頼を寄せられていたベームの演奏は、現在も別格の名演とされている。

1950年代に撮影されたベーム
1924年頃に撮影されたリヒャルト・シュトラウス

ベームがシュトラウスと知り合いになったのは1930年代初頭のことだった。当時、ハンブルクの歌劇場で音楽監督をしていたベームが、作曲されたばかりの歌劇《アラベラ》の演奏についてシュトラウスに手紙を書いたことがきっかけだった。

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2人の年齢は20歳以上離れていたが、すぐに親しくなり、シュトラウスはベームのことを「ベーメルル」(「ベームちゃん」ぐらいの意味)と愛称で呼び、ベームはシュトラウスを、父親のような友人と感じた。この友情は、1949年にシュトラウスが亡くなるまで変わらなかった。

シュトラウスが生きている間に、ベームは彼のオペラやコンサート作品の大半を演奏している。歌劇《無口な女》と《ダフネ》はベームが初演を行ない、後者はベームに献呈された。ベームは「譜面に書かれていること以外で彼がどのように演奏されることを望んでいたかなども知っています」とまで言いきっている。

▼ベーム指揮《影のない女》このオペラの世界初録音。ウィーン芸術週間での公演のあと、ごくわずかな回数のセッションで録音されたものだが、ベームはその出来栄えに満足していた

▼《ダフネ》オヴィディウスの『変身物語』にもとづくこのオペラは、ベームに献呈され、ベームの指揮で初演された

ベームに影響を与えたシュトラウスのモーツァルト愛

ベームが学んだのはシュトラウス自身の作品についてだけではなかった。モーツァルトにも定評のあったベームだが、意外にも、最初からモーツァルトが好きだったわけではないという。どうやらこれは、熱烈なワグネリアンで、モーツァルトについては「同じテキストを何度も繰り返すばかりで、ぜんぜん劇的じゃない」と言っていた父親の影響らしい。

ベームがモーツァルトに開眼したのはブルーノ・ワルターのおかげだった。そして、モーツァルトへの愛をさらに強め、深めてくれたのがシュトラウスだったという。いつも冷静なシュトラウスだったが、モーツァルトについて語るときだけは熱烈だった。《ドン・ジョヴァンニ》の第1幕、仮面を被ったドン・オッターヴィオ、ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラをレポレッロが招き入れ、三重唱が始まるまでのアダージョの2小節、これが作曲できたなら自分のオペラ3篇を差し出してもいい、というシュトラウスの言葉を、ベームは伝えている。

▼ベーム指揮 プラハ国立歌劇場 モーツァルト:《ドン・ジョヴァンニ》。オーケストラが弦だけになる2:16から2:27あたりがシュトラウスの言っている箇所

ベームは、指揮者としても高名だったシュトラウスと、指揮についても何度も話し合ったという。「どんな音楽作品にも、間違いようのないほど正しくテンポが示されている箇所がひとつはある」というシュトラウスの主張に、ベームは同意している。速すぎれば歌手が歌えなくなり、遅すぎれば旋律が間延びしてわからなくなる、ここはこのテンポでなければならない、というその箇所を見つければ、全体のテンポがおのずと決まってくるというわけだ。

ただ、シュトラウスの振るモーツァルトやベートーヴェンは、ベームにとっては速すぎることが多かった。ベームはそのことをよく抗議し、言い争っていたらしい。もちろん、シュトラウスは絶対に自分の考えを変えなかったという。

▼シュトラウス指揮 モーツァルト:交響曲第40番〜第2楽章。ベームによると、シュトラウスは何でも速く振っていた。たとえばこの楽章を、シュトラウスはいつも2つで振っていたが、ベームはそれを「完全に間違っている」とする

ゼンパーオーパーのピットで指揮をするシュトラウス(1929年頃)

シュトラウスがベームに渡した遺産は次世代へ

さて、シュトラウスの没後も、ベームは彼の作品を精力的に演奏し、たくさんの名演を残した。生涯最後のレコーディングもシュトラウスの歌劇《エレクトラ》(映像作品)だった。

▼ベーム指揮《エレクトラ》(1961年録音)これは最晩年のものではなく1961年の録音。ベームの師匠にあたるワルターもこの録音を絶賛した

86歳のベームは体調もよく、ウィーン・フィルや、レオニー・リザネクをはじめとする豪華キャストを相手に、順調に収録を進めていた。ところが、あとセッション1回で完成というところで心臓発作が起こり、ベームはベッドから立ち上がれなくなってしまう。すべての予定がキャンセルされた。《エレクトラ》の完成も危ぶまれた。

しかし2か月後、ベームは奇跡的に指揮台に戻ってきた。彼は渾身の力を振り絞って、オレスト登場の場面を振り、《エレクトラ》は完成した。すべてを成し遂げたあと、ベームは弱々しい声でウィーン・フィルに謝意を表し、ベームがシュトラウスから譲り受け、宝物にしてきた5冊のスケッチ帳をウィーン・フィルに寄贈すると述べた。ベームが世を去ったのは、その2か月後のことだ。

参考文献
カール・ベーム著 高辻知義訳『回想のロンド』白水社
カール・ベーム著 井本[ショウ]二(ショウは日ヘンに向)訳『私の音楽を支えたもの』シンフォニア
真鍋圭子『カール・ベーム 心より心へ』共同通信社

増田さんが出演するラジオ情報
NHK-FM カール・ベーム変奏曲

1981年に世を去るまで、特に日本で絶大な人気のあった名指揮者カール・ベームの演奏を、下野竜也さんをお迎えしてあらためて聴いてみようという番組です。

 

放送日程: 2024年8月13日(火)~16日(金) 19:30-21:10 全4回

 

司会 東 涼子
ゲスト下野 竜也(指揮者)
解説 増田 良介(音楽評論家)

 

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増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

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