読みもの
2022.02.26
教育音楽アーカイブ

人気卒業ソング『旅立ちの日に』作者が語る制作秘話

校種問わず歌われ続ける卒業式の定番『旅立ちの日に』。楽曲誕生から30年経った今もなお、その人気は衰えません。『旅立ちの日に』はなぜ、私たちを惹きつけ続けるのか……。その秘密に迫るべく、作曲者の高橋浩美先生に『旅立ちの日』誕生のきっかけを伺いました。

「教育音楽」編集部
「教育音楽」編集部  授業・行事・部活にいきる音楽教師の応援マガジン

全国の音楽の先生に役立つ誌面をつくるため、個性あふれる先生、魅力的な授業、ステキな部活……音楽教育の現場を日々取材しています。〔音楽指導ブック〕〔教育音楽ハンドブック...

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楽曲誕生のきっかけとなった二つの出会い

小嶋先生との出会い

秩父市立影森中学校に赴任したときに、私と同時に赴任された小嶋 登校長先生と出会いました。校長先生は前任校で歌を中心に学校を立て直されたというご経験があったのですが、始業式で生徒たちが歌った校歌を初めて聴いたとき、元気がないと感じられたようで、始業式のごあいさつの中で「もっと大きな声で、元気に歌えるような学校にしていこう」というお話をされました。そのお話を聞き、音楽科の教員としてそれを実現させなければとシャキンと背筋が伸びる感じでスタートしたことを今でも覚えています。

また、校長先生が学校の柱に「歌声の響く学校」にしようと掲げてくださったということも、『旅立ちの日に』が誕生したきっかけの一つになったと思います。

コーラス部との出会い

私はコーラス部があることを知らずに赴任したのですが、赴任初日にコーラス部の部長と副部長が「3年生だけですが、練習しているので来てください」と、職員室に私を呼びに来てくれました。見に行くと、生徒が筋トレや発声練習を地道に練習している様子。「コンクールに出たことあるの?」と尋ねると、人数が少ないのもあり、出たことはなく、しかも今年で廃部になるという話でした。こんなに一生懸命やっているのに廃部にしてしまうなんてと、1年生を勧誘してなんとか存続できるように先生方にお願いしたらご理解をいただけ、新入部員も8人入ってきました。ただ女子16人しかいなかったので、男子の応援部員を募って混声でコンクールに出たいと思いました。

私自身も中学生のときにコーラス部だったのですが、そのときと同じスタイルでコンクールを目指したかったのです。けれども、まだ生徒との関係ができていなくて、授業でも全然歌ってくれず……。そんな3年生の男子たちに「とにかく女子たちが一生懸命頑張っているから、応援をしてほしい。先生は本気です。もしやる気があったらお昼休みに音楽室で待っています」と伝えました。今でも体が震えていたことを覚えています。でも、勇気を振り絞って。それでその日の昼休みに音楽室で待っていたら、音楽室の外から聞こえてきて……。何か文句を言いに来たのかなと思ったら「お前が行けよ」「いや、お前が言い出したんだろ」などという会話とともに、音楽室に男子17人がドドドドっとなだれ込んできました。とにかく驚いて、その面々を見ると授業では私に背を向けている男子たち。思わず「あのさみんな、ピアノの周りで発声練習をしたり、ステージに立って歌おうってお願いしているんだよ? 本当にそれに協力してくれるの?」と尋ねると、「しょうがねえな、やってやるか」って照れながら言うんですよ。それが本当に、本当にかわいくて。あの音楽室に男子たちがなだれこんできた瞬間、つまり心を開いてくれた瞬間が、もう一つのきっかけになったと思います。

「歌声が響く学校」になるまで

コーラス部は男子の応援部員が入って、短い夏でしたがこれ以上ないくらい燃えました。NHK 全国学校音楽コンクールの県北予選(当時)に出場。歌った後自分たちは満足で「埼玉県コンクールに行けるぞ!」って言っていたんですが、もちろん届かず……。発表の後みんなで大泣きをしました。

そんなコンクールの経験を経て、彼らがその秋の合唱コンクールでクラスの核になりました。それまでは歌うことにあまり興味を示さなかった男子たちが本気を出したものだから、女子たちもうれしくて。それは盛り上がりました。運動部の先輩がお手伝いをしながら歌を一生懸命歌うことがとてもかっこいいと後輩の男子たちの目にも映って「僕もやりたい!」と、そういう流れができて、次の年にも引き継がれ、男子も普通に声を出して歌うという空気がだんだんできていきました。

『旅立ちの日に』の誕生

赴任3年目は、一番私を支えてくださった校長先生が退職される年でした。そして、赴任と同時に入ってきたコーラス部の子たち8人が学年の核となり、歌声を引っ張り、みんなでいろいろな活動を全力で頑張ってくれて……。そんな彼らが卒業するにあたり、何かプレゼントをつくりたいなと考えました。校長先生と一緒に曲をつくれたらと思い、詞をお願いしたところ、最初はお断りになられましたが、次の日の朝、職員室の私の机の上に歌詞が置いてあったのです。その日はちょうど1時間目に授業がなかったので、音楽室に駆け上がってピアノに向かうと、「勇気を翼に込めて」のB メロからメロディーが出てきました。その後にA メロとサビの部分を付けて、作曲の時間は15分ほどしかかかりませんでした。考えて作曲したというよりも、湧き上がってきたというか、天から下りてきた……とても不思議な感じでしたね。

それで出来上がってすぐに校長先生に内線で連絡して、音楽室に来てくださったんですけれども、最初は全然信じてくださらなくって、「またまた浩美先生冗談を言って~」って。その後できた曲を弾き歌いしたらビックリするとともに「とてもいい曲じゃないか」と大変喜んで、「生徒には内緒で先生たちで練習をして、3年生を送る会で歌ってプレゼントをしよう」とおっしゃってくださったのです。

秩父ミューズパーク内の「旅立ちの丘」には、『旅立ちの日に』の歌碑が設置されている。

3年生を送る会での初演

卒業式前はとにかく校務が忙しいということで、全員で集まって練習をするというのが難しかった。なので、一つ一つダビングしたカセットテープを先生方の分用意をして、通勤の車の中で練習していただきました。先生方で集まって練習をしたのは1回しかなかったと思います。

それで3年生を送る会が終わった後にサプライズで先生方にステージに上っていただき演奏をしたのですが、私はもうピアノを弾きながらボロ泣きでした。本当にもう、うれしくて。3年間一緒に頑張ってきた生徒たちが一番前で聴いてくれて、しかもつくった歌を先生たちが練習して歌ってくださっているという、なんてすてきな景色なんだ……と、今でも心に焼き付いています。

曲が出来上がったのが2月の下旬。約1週間で本番に臨みました。あのときは伴奏譜も書いていなかったので、微妙に現在の前奏とは違っているんです。本当に書く間もありませんでしたね。

影森中学校の音楽室には、作曲当時のピアノが今も大切に保管されている。
髙橋浩美先生による自筆譜。

小嶋校長先生との思い出

校長先生は物静かで、多くを語るタイプではないのですが、職員への指示がとても的確で、まとめるのがとても上手な方でした。だから先生方も、「任されたから頑張ってやってみよう」とやる気を持ってそれぞれ仕事をされていました。

後に、先生がお亡くなりになる少し前にお会いした際に、「私は浩美先生に歌詞を変えられたんだ」とおっしゃられました。「勇気を翼にこめて~」の2番歌詞が違っていて、私が校長先生に「ここは絶対『勇気を翼に込めて~』の方がいいから変えた方がいいです」ってそんな失礼なことを言ったらしいんです。私はそれを忘れていましたが、校長先生は覚えていてくださって……。なので、その校長先生が持っていらっしゃった原詩をもう一度見たかったなと、今改めて思いますね。

 

影森中学校の職員玄関には小嶋 登先生直筆の『旅立ちの日に』の歌詞が飾られている。
平成18年2月に建てられた『旅立ちの日に』の歌碑。

——『教育音楽』2020年2月号特集「永久保存版『旅立ちの日に』」より/髙橋浩美(埼玉県立秩父特別支援学校教諭)

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