音楽が「起る」生活#2 ネルソンス&ウィーン・フィル、ラトル&バイエルン、N響、他
コンサートやオペラは生もの。曲目やアーティストが決まっていても、ステージ上で何が「起る」かは行ってみなければ分かりません。この連載では音楽評論家の堀内修さんが、毎月期待されるコンサートと、その結果報告をしていきます。期待が当たっても外れても、音楽との出会いは一期一会の特別なもの。この秋からあなたも、音楽が「起る」生活、はじめませんか?
東京生まれ。『音楽の友』誌『レコード芸術』誌にニュースや演奏会の評を書き始めたのは1975年だった。以後音楽評論家として活動し、新聞や雑誌に記事を書くほか、テレビやF...
何かが起りそう(11 月のオペラ・コンサート予想)
1. ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 アンドリス・ネルソンス指揮 五嶋みどりvn(11/12・サントリーホール)
ウィーン・フィルの日本公演は、もう日本シーズンと呼んでもいいくらい。必ず聴いて耳を清めるという人だっているだろう。今年はアンドリス・ネルソンスが指揮する。
さて聴くのは《英雄の生涯》かショスタコーヴィチとドヴォルジャークの交響曲かマーラーの5番か。どれを聴いたって期待外れにならないのがウィーン・フィルというオーケストラだ。
過去に聴いた胸が痛くなるような体験を思い出して、ついマーラーの5番にしてしまう。でもネルソンスに過去を忘れさせられるのだって悪くない。
2. ロッシーニ《ウィリアム・テル》(11/20~30・新国立劇場)
シーズン最初の《夢遊病の女》が大当たりというわけではなかったので、二の足を踏んでしまうが、まさか新しい《ウィリアム・テル》をはずすわけにはいかない。
このロッシーニの大作は、オペラ史を変えた傑作なのに、滅多に上演されない。大規模な上優れた歌手を必要とするので上演が困難だからだ。今回は貴重な機会になる。
新国立劇場としても力が入っているのは明らかで、音楽監督大野和士自身が指揮し、信用できるヤニス・コッコスが演出する。至難の役とされるテノールのアルノルド役をルネ・バルベラが歌い、マティルドのソプラノはルチアで印象に残るオルガ・ペレチャッコだ。体調を整えて備えなくては。
3. アリーナ・イブラギモヴァvn&セドリック・ティベルギアンp(11/21・王子ホール)
1度も聴いたことがない。聴いてみなくては、と思っているうちにコロナ禍になってしまった。やっと聴ける。
CDで聴く限り、いまもっとも力がみなぎっているヴァイオリニストじゃないかと思える。でも、もしかしたら好みに合わない可能性もある。みなぎる力が性に合わないことだって十分ありうる。
さあどうなるのか。ヤナーチェクのソナタやエネスコのソナタが並んだ、並じゃないプログラムも気が利いている。
4. バイエルン放送交響楽団 サイモン・ラトル指揮(11/27・サントリーホール)
「ブルックナーの年」はやはりラトルとバイエルン放送響でしめくくることにしよう。ベルリン・フィル時代のラトルに未練は残るが、バイエルン放送響とのコンビでどういう演奏が聴けるかも興味津々だ。
かつてのように重厚長大なオーケストラではないから、ラトルのもとで明快なブルックナーの凄味を聴かせてくれそうだが、もちろん聴いてみなくてはわからない。
かつてカラヤンとベルリン・フィルで何度もブルックナーの9番だけ、というおそろしく短いコンサートを聴いて、それはそれでよかったのだけれど、今回はワーグナーが2曲にリゲティやウェーベルンまで付いて盛りだくさんだ。でも何よりブルックナーが聴きたい。
5. NHK交響楽団第2025回定期演奏会 ファビオ・ルイージ指揮 クリスティアーネ・カルクS(11/30、12/1・NHKホール)
シェーンベルク生誕150年と銘打たれた定期公演で、後半に交響詩《ペレアスとメリザンド》を演奏する。これがメインの曲なのだが、個人的には前半のカルクが歌うR・シュトラウスの歌曲が聴きたい。
カルクはすでに東京でも歌っているが、同じく《ペレアスとメリザンド》でもドビュッシーのオペラで、すばらしく透明なメリザンドを歌ったのが忘れられない。ルイージのN響と組んだシュトラウスの歌ならどんなに魅力的になるだろうと、いまからワクワクする。
何が起ったのか(10 月のオペラ・コンサートで)
1. ベッリーニ《夢遊病の女》⇒ ⇒ ⇒交代したソプラノがべッリーニのオペラ実現の主役に
アミーナがいじめられている。音楽が始まる前からダンスの連中にいじめられ、幕が開いてからは荒々しい村人の合唱や冷淡な演出にさいなまれた。手慣れたベニーニ指揮の演奏も、還暦と聞いて驚くくらい巧みだが困難もあったシラグーザのエルヴィーノも、アミーナに寄りそわない。
いじめは肝心の夢遊病の場面で頂点に達した。傾いた庇の上に現われたアミーナに救いはない。悲しみの歌が終ってさえも。これまでの上演では壊れかけた橋でも、ビルの窓の外でもアミーナには夢の自由があったのだと、この時わかった。
だがアミーナはひどいいじめにも奪われた自由にも負けなかった。スター性を備えるのはこれからだとしても、ムスキオは声の美質と歌の技の魅力を備えていた。心配していたソプラノがベッリーニのオペラ実現の主役になった。舞台では何が起るかわからない。
( 10/ 3 ・ 新国立劇場 )
2. ピエール=ロラン・エマールp⇒ ⇒ ⇒別時代の曲が共振を始めるスリル
リゲティを終えて、次にベートーヴェン、なのじゃなかった。なるほど交互に弾いていくのか、と平常心のまま聴き進むうち、平常心を失った。別々の曲が「合っている」なんてものじゃない。交互に演奏されるうち、「ムジカ・リチェルカータ」と「バガテル」が共振を始める。そのスリリングなことといったら!
もっと興奮させられたのは後半だ。リゲティにショパンとドビュッシーがからみつき、新しい音楽が形成されていく。異様なほどの緊張感がこの稀有な演奏を編み上げた。
(10/ 8・東京文化会館小ホール)
3. 読売日本交響楽団第642回定期演奏会 セバスティアン・ヴァイグレ指揮 クリスティアン・テツラフvn ⇒ ⇒ ⇒ブラームスのヴァイオリン協奏曲は舞曲だった
あれ、踊ってるぞ! 気づいて驚いた。猛烈な速さでテツラフのヴァイオリンとヴァイグレが指揮する読響が回転している。まさかこれがブラームスのヴァイオリン協奏曲じゃないだろうな?
そのうち踊っているのが薄氷の上だと思える。少しでも踏みはずしたら氷は割れる。なんと、ブラームスの、3楽章の協奏曲は3つの舞曲なのだった。感傷どころかロマン的情感に浸る余裕さえなく、手に汗を握る。
ヴァイオリンは鋭利な楽器だ。ヴァイオリニストも読響も怖れを知らずに踊った。氷は割れず、危険が去って聴く者は胸をなでおろす。初めて聴く音楽だったと実感したのはラフマニノフが終った後になってからだった。
(10/ 9 ・サントリーホール )
4. マーク・パドモア T&大萩康司 g ⇒ ⇒ ⇒歌とギターの穏やかな秋の夜
予想外にも、アレック・ロスの「チャイニーズ・ガーデン」が愉しめた。ちょっと紋切りの型の、でも不思議に印象的なギターとともに、歌がいくつもの庭をめぐる。パドモアが親切に柔らかい日の光が当たる庭を案内してくれた。
期待していたシューベルトではついみずみずしい歌を求めたくなったものの、「庭の千草」でコンサートが終わった後には、穏やかな秋の夜に感謝したくなる。
(10/16・トッパンホール)
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