読みもの
2021.05.02
特集「睡眠」

睡眠不足な作曲家たち〜寝る暇がないメンデルスゾーンと繊細なチャイコフスキー

歴史に名を残した作曲家にも、睡眠に関する悩みを抱えていた人がいます。ここでは、メンデルスゾーンとチャイコフスキーが不眠に陥ってしまった原因と結末に迫ります。どうして不眠になってしまったのでしょうか?

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

睡眠時間を削って完成させた「不眠の賜物」? メンデルスゾーンが描いたフィレンツェの風景画(1830年)。

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2020年に発表された日本人の平均睡眠時間は、6時間27分だそうです(調査:ブレインスリープ)。さらに同年、フィリップス社が先進国を対象に行った調査では、もっとも睡眠に満足しない人が多い国は日本だったそう。

日本人の睡眠不足は、おそらく大きな問題でしょう。しかし、睡眠不足に悩まされていたのは、日本人だけではありませんでした……! この記事では、睡眠不足・不眠に悩まされていた、2人の作曲家をご紹介します。

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寝る間も惜しんで勉強と音楽に励んだ多忙なメンデルスゾーン

フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)は、睡眠不足に悩まされた作曲家の一人でした。

著名な哲学者の祖父、そして銀行経営者の父を持つメンデルスゾーン。親が「エリートに育てたい」という一心で、学校に加え、子どもの頃は多くの習い事をしていました(させられていた?)。

フランス語、ラテン語、ヘブライ語を含む9つの言語、乗馬、水泳、体操などのスポーツ、数学、哲学、詩、地理学、自然科学、絵画……それぞれに家庭教師が付き、ひっきりなしに家を出入りしていました。特に、音楽に関しては、作曲だけでなく、たくさんの楽器のレッスンも受けていました。

しかも! 家庭教師についていたのは、それはもう一流のすごい人たち。

哲学はハイゼ(ノーベル賞を受賞したP.ハイゼの父)、地理学はリッター(近代地理学の父)、法学はガンス(法律の基礎に哲学の思想を持ち込んだ人)、そして自然科学をフンボルト(リッターとともに近代地理学の父)。

左:メンデルスゾーンの祖父・モーゼス。劇作家レッシングやカントと親交を深める。ベルリン・アカデミー懸賞論文でカントに競り勝つほどの著名な哲学者。
上:地理の家庭教師をしていたカール・リッター。地理学の方法論の確立につとめ、フンボルトと並んで「近代地理学の父」と評される。厳しそうな表情ですね。

数が多いのはもちろんのこと、どのレッスンや講義も、気が抜けませんでした。朝5時に起き、一日中勉強や練習に明け暮れる毎日。

さらに毎週日曜日は、ゲーテなどの著名人が家に来て、プライベートの演奏会が開かれていたため、もちろんたくさんの曲も練習しなければいけませんでした。

メンデルスゾーンは音楽の道に進みましたが、1827年からベルリン大学で、普通の勉強(美学や歴史学など)もしていました。

13歳のメンデルスゾーン。かわいらしい少年に見えて、実は並々ならぬ英才教育をこなしていたとは……。

子どもの頃からこんな生活をするなんて、私には到底考えられません……(私だけではないでしょうが)。

いくら若くても、このような生活をしていたら睡眠時間を確保するのも難しいはず。メンデルスゾーンは子どもの頃から、深刻な睡眠不足に悩まされていました! 友人宛の手紙には、寝不足に悩んでいたことが証言されています。

 

ピアノとヴァイオリンのための協奏曲〜第3楽章
メンデルスゾーンが寝不足に悩んでいた14歳のときの作品。日曜日のホームコンサートのために、忙しい合間をぬって書かれた作品です。自分でピアノを弾くことを想定して書かれましたが、全く手を抜かず、華やかで技巧的に書かれています……!

17歳で、バッハの《マタイ受難曲》を復活初演。26歳で、ゲヴァントハウスの指揮者に就任。この間も各地を旅し、音楽活動に力を注いでいました。

26歳のメンデルスゾーン。厳しい教育を乗り越え、ぐれずに成長したようで良かったです!

しかし、睡眠不足はずっと付きまとい、30代になった頃にツケが回ってきました。強烈な偏頭痛がメンデルスゾーンを悩ませるようになったのです。

ドクターストップがかかったものの、幼少期より凄まじい生活をしていれば、多忙には慣れたもの。34歳には、ライプツィヒ音楽大学を設立するなど、メンデルスゾーンは活動を続けました。

そして最後は、「疲れたよ」との言葉を遺し、クモ膜下出血により38歳で急死します。一回の人生では足りないほど、たくさんのことを学び、功績を残したメンデルスゾーン。そりゃ、寝る時間なんてないですし、疲れますよ……。

メンデルスゾーン:歌曲「眠れぬ瞳の灯り」

作品の批判や恩師の言葉によって寝られなくなった繊細なチャイコフスキー

そんなメンデルスゾーンの作品に影響を受けたピョートル・チャイコフスキー(1840〜1893)も、若い頃から不眠に悩まされていました。

19歳から法務省に勤めており、その後に音楽家になろうと決心したチャイコフスキーは、1862年(22歳)にペテルブルク音楽院に入学。その卒業作品として、1865年(25歳)、ルービンシュタイン先生の指示を仰いで書いたカンタータ「歓喜に寄せる」が、当時の大御所に痛烈な批判を受けます。

カンタータ《歓喜に寄せる》より

もともと繊細な心の持ち主だったチャイコフスキーは、自身の作品がバッシングを受けたことに、とてつもないショックを受けます。このときから、ショックや不安による不眠症の症状が出始めたのです。

26歳のチャイコフスキー(1866年)。どうでしょう、繊細な青年に見えますか?

チャイコフスキーは卒業後、お世話になったルービンシュタインの弟が開校したモスクワ音楽院に、講師として呼ばれます。恩師の指導で書いた卒業作品が批判された手前、気持ちも向きませんが、恩師の弟の招きとなれば断れません。しかも、講師として招かれた以上、やっぱり作曲家としてやっていかなければなりません。

そこで、1866年3月より、初めての交響曲の作曲に挑みます。

この頃もまだ不眠症を患い、極度の疲れに悩まされていたチャイコフスキーは、7月に家族のもとへ帰省します。ここで羽を伸ばしたチャイコフスキーは、田園風景を描写した交響曲の良き例として、メンデルスゾーンの交響曲を研究しながら、調子に乗ってそのまま夜も作曲を続けました。

批判されたトラウマのあるチャイコフスキーは、休暇が終わった8月末に、作曲中の「交響曲第1番」を師であるルービンシュタインに見てもらいます。しかし、反応は最悪。

さらに12月、言われたことをちゃんと手直しして、もう一度先生に見せますが、返ってきた言葉は「こんな交響曲は、どの部分も上演しないほうがいい」。

泣きたくなりますね。

この頃から、チャイコフスキーのストレスは抱え切れないほどに寝ようと思っても、恩師の厳しい言葉がちらついてまったく寝れず、結局寝ずに作曲するようになります。すると、あまりにも寝なかったため、ひどい頭痛、腸のけいれん、さらには幻覚まで見るようになったそう。

28歳のチャイコフスキー(1868年)。ヒゲが増して大人っぽくなったような……いろいろなことを経てこうなったのでしょうか。

「交響曲第1番」が正式に初演されたのは1868年。それまでに交響曲の楽章を抜粋し、断片的に初演が行なわれていました。それらが無事に成功し、恩師の弟ニコライが「ぜひ全楽章を通して演奏しよう」と提案したことで、無事に全楽章を通して初演することができたのです。初演は大成功に終わりました。本当に良かったですね……。このとき、恩師の弟ニコライ・ルービンシュタインによって指揮され、作品は彼に捧げられました。

こうして、無事に不眠症も治ったそうですが、チャイコフスキーはこの出来事以降、日が暮れてからは一音たりとも書くことはありませんでした。

交響曲第1番《冬の日の幻想》ト短調 作品13
メンデルスゾーンの交響曲第3番《スコットランド》や第4番《イタリア》など、田園風景を描写した交響曲に大きな影響を受けています。

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

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