読みもの
2024.02.28
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 21

アイルランドの伝統音楽をかなり異なったスタイルで演奏する世界が愛する厄介者、シェインの実像に迫る必見のフィルム

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。

Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2024年2月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

イラスト: 酒井恵理

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酔いどれ暴れん坊のイメージのため長い間、国内では評価されなかった

このコラムで以前、チーフタンズの人気がきっかけでアイルランドの音楽が日本で本格的に多くの人に聴かれるようになったことを書きました。それは1990年代初頭の話です。

でも、よく考えればそれ以前にもアイルランドの伝統音楽を、かなり異なった演奏スタイルですが、聴かせていて、世界的に人気があったバンドがありました。ザ・ポーグズです。

2023年11月30日に65歳で亡くなったシェイン・マガワンはザ・ポーグズのリード・ヴォーカル、そして主なソングライターでしたが、彼の並々ならぬ才能は酔いどれ暴れん坊のイメージのために、特に日本辺りでは十分に評価されていない気がします。

彼のことを描いたドキュメンタリー映画『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』(原題はCrock Of Gold: A Few Rounds with Shane MacGowan)は2022年に公開され、その字幕の監修を担当した関係もあって何度も見ていますが、彼の素晴らしさを知るには絶好の素材だと思います。ひとしきり劇場での上映が終わったところシェインの訃報が届いたので急きょ年末に追悼上映も企画され、この号が出る頃には残念ながら終わっていますが、アマゾン・プライムでも配信されています。

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ドキュメンタリーと言っても作りはちょっと変わっています。かつてセックス・ピストルズやクラッシュのジョー・ストラマーなどのドキュメンタリーを作ってきたジュリアン・テンプル監督にとってこれはかなりのチャレンジだったはずです。シェイン自身は制作当時には60歳をすぎたくらいでしたが、体はそうとう弱っていたし、映画を作りたい、協力したいという姿勢は見えません。

昔からの仲良しで映画の制作総指揮の一人として名前を並べているジョニー・デップとの対談シーンで突然「えっ、なに、これ撮ってるの? カメラはどこ?」と言いだす発言から想像すると少なくとも部分的には隠しカメラを使っていたに違いありません。

ジョニー・デップとの対談シーン

別のシーンでプライマル・スクリームのヴォ―カリスト、ボビー・ギレスピーがインタヴューをすることになっています。でも、カジュアルな設定でグラスを持って、まともな質問をしようとするとシェインはすぐ「そんなくだらないのはやめろよ、話題変更!」とつっかかり、ボビーはたじたじ……。

IRA(アイルランド共和軍)の政治部門シン・フェインへの共感

新しくこの映画のために撮影された対談でいちばん興味深かったのはたぶんジェリー・アダムズでしょう。彼は音楽の世界の人ではなく、政治家。しかし普通の政治家ではありません。かつてIRA(アイルランド共和軍)の政治部門シン・フェインのリーダーで、30年も続いた北アイルランドの武装対立を終えるための和平プロセスでは大きな役割を果たした一人でしたが、シェインとはだいぶ前からさまざまなところでつながっていたようです。

シェインの生まれはロンドンから少し離れたケント州でした。アイルランド生まれの両親は当時親戚を訪ねていたとのことです。シェインは6歳までアイルランドに住んでいたそうですが、そのご家族がイングランドの方に移住し、転々としていたようです。『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』では子ども時代がとても面白く描かれています。シェイン自身の過去に録音された声が「ナレイション」をつける形で、1950年代のアイルランドの田舎の生活を描いた映像はぼくも見たことのない世界でした。貧しく、粗野で、土臭く、でも実に活き活きしている共同体の生活はシェインにとってどれだけ楽しかったか。夏休みが終わるぎりぎり前まで一人だけ粘って、なかなかロンドンの家に戻りたがらなかった話を妹のシボーンがインタヴューで語ります。

周りにアイルランド共和主義者が多く、イングランドに住みながらもアイルランド人としてのアイデンティティが強かったシェイン(話すときのアクセントはいかにもロンドンでしたが)は子どものことの戦争ごっこでいつもカウボイとインディアンならインディアン、ヴェトナム戦争のときはヴェトコン、アイルランド独立戦争では共和軍側にいたといいます。ジェリー・アダムズとの話で、IRAに参加する勇気がなかったことを悔やんでいることを言って、少なくとも音楽で戦ったつもりだと。

「ニューヨークの夢」がヒットして燃え尽きたシェイン

シェインは頭がよかったようです。11歳でドストエフスキ、スタインベック、ジェイムズ・ジョイスなどを読んでいたと言いますし、奨学金制度でウェストミンスターというロンドンの老舗の私立学校に入学したものの、そんな世界で生きていくつもりが本人にはなく、退学処分になったときの父親の態度もケッサクです。

あの時代の英国ではアイルランド人は残念ながら日常的にいろいろな差別を受けたものでした。シェインの歌ではアウトサイダーの目線でアイルランド系の移民の体験をリアルに、しかも文学的なセンスで描きました。もっとも有名なのは1987年にヒットした「ニューヨークの夢」です。

あの曲が売れすぎて、次々と続くツアーで燃え尽きてしまったシェインは、1991年の来日中にザ・ポーグズをクビになったときはほっとしたと告白します。暴れん坊イメージは間違ってはいませんが、それはある意味でアイリッシュ、とも言えます。本当はもっと繊細な人で、なぜパンク・ロックにはまったかなども『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』を見ればよく分かります。ぜひご覧ください。彼の類はもう現れないと思います。

「ニューヨークの夢」が挿入されたアルバム。ザ・ポーグズ『墜ちた天使』

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

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