読みもの
2022.12.27
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 6

来年の来日も期待できるブルージーなロックとソウルの黄金時代の精神を持つテデスキ・トラックス・バンド 新作4枚の総合タイトルは『I Am The Moon』

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。

Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2022年10月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

イラスト:山下セイジ

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2003年からデレクのファンとなる

21世紀に入ってから、つまり50歳を超えた辺りから最も衝撃を受けたミュージシャンはギタリストのデレク・トラックスです。元々スライド・ギターが好きで、60年代にのめり込んだブルーズではロバート・ジョンスンからマディ・ウォーターズやエルモア・ジェイムズ、70年代ではライ・クーダー、ドゥウェイン・オールマン、ジェシー・エド・デイヴィス、ロウェル・ジョージ、デイヴィッド・リンドリーなど、80年代ではサニー・ランドレスとの出会いも大きかったです。しかし、彼らからの影響は当然あるにせよ、圧倒的なオリジナリティを持ったデレクのスライドには久しぶりにノック・アウトされました。

彼のデレク・トラックス・バンドがデビュー・アルバムを発表した1997年には彼はまだ18歳でした。それを後から遡って聴いたぼくは2003年の『Joyful Noise』からのファンで、翌年の初来日公演で一気にこのバンドに対する熱が高まってしまいました。

それからことあるごとにラジオで紹介したり、一人でも多くの人にデレクの素晴らしさを知ってもらおうとエネルギーを費やしてきました。

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デレクは2000年に結婚したスーザン・テデスキとは別々のバンドで活動しつつ、時々合体した形でSoul Stew Revivalという大所帯音楽祭を開催するなどしていましたが、2010年に結局Tedeschi Trucks Bandという形で、新たに共同で活動する道を選びました。これまでメンバーの入れ替えが色々あり、現在ギターのデレクとヴォーカルとギターのスーザンの他、キーボード、ベイス、ドラマーが2人、ホーン・セクションが3人、バック・ヴォーカルも3人の合計12人編成です。

アメリカでは珍しい名前であるデレクを付けられたのは彼の父親が、エリック・クラプトンがデレク・アンド・ザ・ドミノーズという架空のバンド名で作った『Layla』が大好きだったためです。

またその父親の兄はオールマン・ブラザーズ・バンドのドラマーだったブッチ・トラックスで、デレクは幼少期からずっとその辺の音楽を聴きながら育ち、20歳になった1999年から自分のバンドと並行して、オールマン・ブラザーズのメンバーにもなっていたのです。1970年前後の独特の雰囲気を持ったブルーズ・ロックを中心に、同じ時期に開催されたジョー・コッカーの伝説の大所帯ツアー「マッド・ドッグズ・アンド・イングリッシュメン」を一つの理想の形としています。

厚みのあるTTB節といえる大編成バンドの独特のサウンド

ギターが主役だったデレク・トラックス・バンドと違って、スーザン・テデスキのヴォーカルがメインとなったテデスキ・トラックス・バンドでは、歌が中心の曲を作るようになりました。そしてホーン・セクションとバック・ヴォーカルが加わった厚みのあるTTB節とでもいうこのバンドの独特のサウンドが出来上がっていったのです。21世紀のバンドなのに、1970年代のような音楽性を持っていて、ヒット曲が出るわけでもないので、もっぱらツアーを中心に定期的にアルバムを自宅のスダジオで制作するという仕組みでした。

しかし、2020年のコロナ禍が始まるとツアーの仕事はぴたっと止まり、ばらばらに住んでいるメンバーはZoomの画面の中でしか会うこともできなくなりました。

ライブで丸ごとカヴァーして、アルバムとしても発表した『Layla Revisited』がきっかけで、仕事がなくて時間があり余っていたバック・ヴォーカルのマイク・マスティンは『Layla』のタイトルの基となった、12世紀のペルシアの詩『レイラとマジヌーン』を読みました。片思いのために狂ってしまう男マジヌーンの立場から描かれているこの物語は女性レイラの立場から見たらどうだろうか、とマイクは考え、彼と同様に暇にしている他のメンバーにもこの詩を推薦すると、そこからさまざまな曲のアイディアが出始めました。

新作はLP時代を意識した収録時間を持つ4枚構成

2019年に、デレクと最も長く活動を共にしていたキーボードとフルートのコーフィ・バーブリッジが心臓発作のため他界しました。当然これでデレクは相当の打撃を受けたのですが、ずっと続くツアーの合間に自分の気持ちを処理する時間もまともにとれないままでした。コロナ禍で休みを余儀なくされた結果、考える時間を持つことができ、コーフィがいた時と同じようにバンドを続けるよりも、新しく入ったメンバーの個性を活かした曲作りを目指そうと決めました。

新曲がどんどん生まれ、それをどのように整理するか考えていたのですが、メンバーがいつも聴いている愛聴盤のLPがどれも35分から40分の長さであることに気づき、その長さのアルバムを4枚発表することになったのです。総合タイトルは『I Am The Moon』で、Pt.1のCrescent、Pt.2のAscension、Pt.3のThe Fall、Pt.4のFarewellを4週間隔で発表。またそれぞれの発売日の直前に、YouTubeに全曲を映像化した動画を発表しています。

イラスト:山下セイジ

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