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2018.09.14
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.02

あまりにも絵画的なドビュッシーの雪の“音絵” ~「歌川広重」展とアンリ・リヴィエール

アマチュアながら熟達した腕をもつと評判の「日曜ヴァイオリニスト」兼、多摩美術大学教授でありながら愛にあふれたキャッチーな絵を描く「ラクガキスト」の小川敦生さんによる連載。

第2回はドビュッシーと浮世絵。ジャポニズムがヨーロッパを席巻した19世紀後半から20世紀初頭、ドビュッシーも例外なく日本の浮世絵に魅せられました。ドビュッシーが音で描く世界を、歌川広重とアンリ・リヴィエールの絵とともにお楽しみ下さい。

そして、広重とリヴィエールとドビュッシーに霊感を受けた小川画伯の作品は……!?

演奏するラクガキスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

写真:小川敦夫

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雪をどのように音にしたのか

今年の夏は酷暑だった。反動というわけでもないが、今日のテーマは“雪”である。

ドビュッシーのピアノの「前奏曲集」の中に《雪の上の足跡》という曲がある。タイトルを見るだけで、風景が想像できる。

ドビュッシーは絵画のような情景を音で紡ぎ出すことを得意とした作曲家だ。前回このコラムで取り上げた管弦楽曲《海》には「3つの交響的スケッチ」という副題がついているし、《版画》というタイトルの曲集やケルト伝説に想を得た《沈める寺》などのピアノ曲、聴けばまさに情景が思い浮かぶ歌曲《美しい夕暮れ》など、多くの作品が絵画的だ。筆者はドビュッシーの楽曲の数々を「音絵」と呼んでいる。

日曜ヴァイオリニストを自称する筆者は、所属するアマチュア・オーケストラで《海》を演奏したときに、「おお、朝日が海に照り映えている!」「自分は今波になっている!」などと思いながら弾いていたし、特に標題がついていないヴァイオリン・ソナタに取り組んだときにも「なんて色彩豊かな曲なのだろう」としきりに感心した記憶がある。

さて、絵画的な曲作りを意識した場合、雪を音楽にするのは結構難しいことなのではなかろうか。雪には音を吸収する特性があり、擬音化しにくいからだ。

そこで、雪の上に残された足跡に目を向けたところに、ドビュッシーの機知がある。

ドビュッシー:「前奏曲集」第1集より《雪の上の足跡》

 

雪の上はゆっくり歩かざるをえない。きゅっきゅっと雪を踏みしめながら。パリはいわゆる雪国ではない。まれに雪が積もったときには非日常的な感覚を楽しみながら歩く人も多いのではないだろうか。やはり雪国ではない東京に住む筆者もそうである。わざわざこう書いたのは、ドビュッシーが雪を楽しむ感覚を独自に捉えて音楽にしたことに共鳴したからだ。

ドビュッシーは「音絵」を創作しただけでなく、実際に美術の世界に近い人だった。

《海》の創作源になったといわれる葛飾北斎の浮世絵《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》が壁に掛かっている横で写っている写真は残っているし、北斎が描いたモチーフは楽譜の表紙にもした。モーリス・ドニら象徴主義の画家とも深い交遊があった。まずは絵が好きだったのだろう。そしてどうにかして絵を音楽にできないかと模索したに違いない。

ドビュッシー(左)とともに写っているのはストラヴィンスキー。その後ろの壁に浮世絵が掛かっているのが見える。
ドビュッシー(左)とともに写っているのはストラヴィンスキー。その後ろの壁に浮世絵が掛かっているのが見える(1910年)。

ドビュッシーが愛した浮世絵の世界

《雪の上の足跡》については、どんぴしゃの絵が2点ある。

一つは歌川広重の浮世絵《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》。明治に入って浮世絵数十万点が欧米に流出し、ドビュッシーはコレクションもしていたので、この作品を目にした可能性は十分ある。

この作品は、現在東京の太田記念美術館で開かれている「広重展」で展示されていたので、先日しみじみと鑑賞してきた。

歌川広重の浮世絵《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》
歌川広重の浮世絵《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》。東京・渋谷の太田記念美術館では9月24日(月祝)まで展示。

しんしんと雪が降る背景の中に、3人の旅人と「雪の上の足跡」が描かれている。なんという静けさ。特に喧騒の中に生きる現代人にとっては、無音はそれ自体が美である。

そもそも蒲原は現在の静岡県の海岸近くの町で、雪はめったに降らない地域という。広重はなぜ雪を降らせたのか?

浮世絵は版元がプロデュースし、市場のニーズを見つつ絵師に絵を依頼することで成り立っている。雪は広重が生きていたころの江戸の人々にとっても人気のテーマだったのではないだろうか。

《東海道五拾三次》は旅行ガイドのような出版物だったので、旅情を誘うような図柄の掲載が企図されたわけだ。実際に雪が降るかどうかにはこだわらず、絵師たちは想像の翼を羽ばたかせて作画に励んだことが想像される。

冨嶽三十六景にあやかった《エッフェル塔三十六景》

さて、もう1点は、ドビュッシーと同時代のフランスの画家、アンリ・リヴィエールが描いた《エッフェル塔三十六景 建設中のエッフェル塔、トロカデロからの眺め》だ。

感づいた読者もいると思うが、このシリーズは葛飾北斎の《冨嶽三十六景》にあやかったものだ。富士山の代わりにエッフェル塔を必ず画面に入れて描いたというわけである。

ただし、雪景色は広重にも想を得たことは間違いないのではないか。リヴィエールの雪の風景と広重の「蒲原」を見比べると、細かなモチーフの親和性が極めて高いことに驚く。それでいて洒落た作品に仕上がっているのがリヴィエールの手腕である。

アンリ・リヴィエールが描いた《エッフェル塔三十六景 建設中のエッフェル塔、トロカデロからの眺め》
アンリ・リヴィエール《エッフェル塔三十六景 建設中のエッフェル塔、トロカデロからの眺め》
アンリ・リヴィエール(Henri Rivière, 1864 - 1951)
アンリ・リヴィエール(Henri Rivière, 1864 - 1951)。フランス・パリ出身のポスト印象派の画家。

リヴィエールの作品では、建設中のエッフェル塔がまるで北斎の富士山のように存在する中で、広重が「蒲原」で描いたように雪の中を歩く人々と、その足跡が描かれている。

ドビュッシーとリヴィエールはどちらも、当時パリで文化の発信拠点になっていた「ル・シャ・ノワール」というキャバレーに出入りしていた。日本から浮世絵数十万点が流入した当時の欧州で、リヴィエールの創作とドビュッシーの音楽は育まれ、それぞれが雪の風景をテーマに開花したのである。

ぜひドビュッシーの《雪の上の足跡》をBGMとして聴きながら、これらの絵を眺めてみてほしい。

ちなみに、ラクガキストである筆者の雪の絵は、《雪だるまをつくっていたら、雪だるまになってしまったパンダ》。広重やリヴィエールの静謐な作風とは程遠い空気を醸成してしまったことをお詫びします。
展覧会情報
没後160年記念 歌川広重

今年2018年は、日本各地の風景を叙情豊かに描いた浮世絵師、歌川広重(1797~1858)が亡くなってから160年にあたる節目の年。太田記念美術館ではそれを記念して、広重の画業の全貌を紹介する展覧会を開催。

会期:
【前期】9月1日(土)~24日(月祝)
【後期】9月29日(土)~10月28日(日)
※前後期で全点展示替え。文中で紹介した《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》は前期のみの展示。

休館日: 9月3日、10日、18日、25日~28日、10月1日、9日、15日、22日

入館料: 一般1,000円、大高生700円、中学生以下 無料
※各種割引あり。詳細は公式サイトにて

会場: 太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1丁目10−10)

公式サイト: http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/2018/utagawahiroshige160

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5館同時開催! 広重展
歌川広重の名前を冠した美術館が、山形県、栃木県、静岡県、岐阜県と4つある。この秋、これらの広重美術館が連携し、広重の没後160年を記念した展覧会を開催!
演奏するラクガキスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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