サントリー音楽賞を井上道義、佐治敬三賞を「北村朋幹 20世紀のピアノ作品」が受賞!
第54回(2022年度)サントリー音楽賞は指揮者の井上道義に、第22回(2022年度)佐治敬三賞は「北村朋幹 20世紀のピアノ作品(ジョン・ケージと20世紀の邦人ピアノ作品)」に決定した。
サントリー音楽賞は、洋楽の発展にもっとも顕著な業績をあげた個人または団体に贈られる。また、佐治敬三賞は音楽を主体とする公演の中から、チャレンジ精神に満ちた企画でかつ公演成果の水準の高いすぐれた公演に贈られる。
贈賞理由については以下のように述べられた。
若くして頭角をあらわし、今年で77歳になるという年齢ならば、もはや「重鎮」や「巨匠」と呼ばれてもおかしくないのだが、井上道義をそんなふうに呼ぶ人はほとんどいない。これだけの活躍をみせながらも、その存在は強く未来を感じさせる。いまだに「若手」のようなのだ。
泰西名曲をしっかりとりあげる一方で、現代作品の開拓にも余念がない。あるいは、あえて道化のようにふるまいながらも、その音楽は実直で正統的。そんなさまざまな矛盾が、時として彼を異端のようにも見せてきたわけだが、しかし近年の演奏においては、その矛盾がいわば豊潤へと変化を遂げ、ゆたかに実っているように感じられる。
とりわけ2022年は、ショスタコーヴィチ作品において、スペシャリストならではの充実ぶりをみせた。2月に「交響曲第5番」(読売日本交響楽団)、「第15番」(オーケストラ・アンサンブル金沢)、「第1番」(東京フィルハーモニー交響楽団)、3月には「第8番」(名古屋フィルハーモニー交響楽団)、11月に「第10番」(NHK交響楽団)といった具合。鬼気迫るラインナップではないか。
さらに藤倉大の新作「Entwine」(読売日本交響楽団、1月)、クセナキスの「ケクロプス」(東京フィルハーモニー交響楽団、2月)、そして伊福部昭の「シンフォニア・タプカーラ」(NHK交響楽団、11月)など、重量級の作品をこなすとともに、オール・プロコフィエフ・プログラム(兵庫芸術文化センター管弦楽団、4月)、偽作をあえて並べて見せた「モーツァルト+」(神奈川フィルハーモニー管弦楽団、5月)など、凝ったプログラミングも冴えわたっており、さらに年末にはNHK交響楽団とのベートーヴェン「交響曲第9番」で、なんともふくよかで、どこか懐かしい音の大伽藍を築いて見せた。これだけ骨のある活動を継続してきた指揮者は他に見当たらない。
以上の理由をもって、井上道義に第54回サントリー音楽賞を贈ることを決定した。
(沼野雄司委員)
「北村朋幹 20世紀のピアノ作品(ジョン・ケージと20世紀の邦人ピアノ作品)」は滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 小ホールで行われた「20世紀の邦人ピアノ作品」と題された演奏会(10月9日)と、その関連企画として滋賀県立美術館エントランスロビーで開催された「北村朋幹×ジョン・ケージ」という演奏会(10月8日)で構成されていた。メインはびわ湖ホールでの演奏会であるが、北村にとって後者におけるケージの《プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード》全曲は邦人ピアノ曲と時空を超えて応答し合う関係なのではなかったろうか。
武満徹の《2つのレント》に始まり、福島和夫《水煙》、柴田南雄《ピアノのためのインプロヴィゼーション第2番》、八村義夫《彼岸花の幻想》、松村禎三《ギリシャによせる二つの子守歌》、甲斐説宗《ピアノのための音楽》と続き、石井眞木の《ブラック・インテンションIII-息のためのピアノ練習曲-》に終わる、1960年代から70年代の作品を中心とした演奏会は、アンコールに演奏された高橋悠治の《秋のオーロラ CANTO I》を含めて実にさまざまなスタイルとアイディアを盛り込んだものであった。アンコールの高橋以外はすべて故人となった作曲家たちのピアノ曲を、こうした形でまとめてプログラム化するピアニストは、21世紀の現在そうはいない。そして、それらはかつて作曲者たちが存命中に頻繁に採り上げられていたころの演奏とはまったく異なったもの、すなわち不可視の歴史の襞を確実に感じさせつつも、時間の距たりのなかで変容してきた、純粋に今の視点から捉え直された作品として、どれもこよなく新鮮に響いた。作曲当時のアイディアを超えて、作品が新たな生命を吹き込まれつつ、不死性へと架橋された瞬間を聴き手は目の当たりにしただろう。
石井作品では舞台上でのピアノのプリペア(弦の間にねじやゴムを挟み、特殊な音響を作り出すこと)をも演奏の一部として感じさせながら、内省的で濃厚な時間の持続を途切れさせることなく、いわば北村自身の高密度の宇宙を描くような演奏会は聴き手に強いインパクトを与えた。
関連企画として行われたジョン・ケージ作品の演奏会は、オープンな空間で出入り自由の公演であったが、各回100人ほどの聴衆が各々の角度から聴き入り、誰も出ていこうとしなかった。事前に慎重に行われていたピアノのプリペアは、それ自体が「解釈」であり、同時に「演奏」の一部だったと言えるだろう。澄み切って、同時に深みのあるタッチで長大な作品が克明に描き出され、特に後半はひたすら演奏の集中力が増していくのが感じられた。今という時間上にある日本だからこそ生まれ得た思索的な演奏であり、北村の創り上げる宇宙はここでもひとびとを魅了してやまなかった。
(長木誠司委員・伊東信宏委員)
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