東山魁夷――モノトーンを極める風景画とバッハのシャコンヌ
多摩美術大学教授で、ご自身も愛にあふれたキャッチーな絵を描く「ラクガキスト」、さらにはアマチュアながら熟達した腕をもつ「日曜ヴァイオリニスト」という肩書をもつ小川敦生さんの連載第4回目は、東山魁夷(ひがしやま・かいい)。
「国民的風景画家」とも呼ばれる東山の幻想的な絵画を、東京・六本木の国立新美術館「東山魁夷展」で鑑賞して、どのように感じたのでしょうか。
1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...
国立新美術館(東京・六本木)で「東山魁夷展」が始まった。
《緑響く》は展覧会のフライヤーなどでも採用されるなど代表作として周知されているので、他の作品を紹介したほうがいいのではないかとも思ったのだが、今回の記事ではどうしても取り上げざるをえないという結論にいたった。
第1の理由は、作品名にある。「響く」という言葉は、本来音に対して使うべきものだ。それが緑という〝色〟に対して使われているのは、とても洒落ている。加えて、ONTOMOの読者の皆さんはおそらく音に何がしかの思いをもっているのではないかと想像される。それゆえ、あまりに見事なこの比喩を、少し深掘りしてみたいという衝動に駆られたのである。
東山ブルーが響く世界
この作品の〝色〟は「緑」と題名に記されているが、実物を見るとかなり青に近い。展覧会場を歩いて一通り作品を見て強く認識したのは、作家が緑を含む青の表現に心血を注いでいたことだ。東山が使う、鮮やかさと柔らかさを併せもつ青は、「東山ブルー」とも言われる。画家の個性と認識されるほどの〝色〟なのである。
この展覧会の目玉作品でもあり、実際の部屋に近いしつらえのもとに展示されている唐招提寺御影堂障壁画の《濤声》も青が基調。こうした襖絵は、伝統的にそもそもは部屋の装飾のために制作されてきたはずだが、これほどの青に囲まれた部屋にいると絵の役割は単なる目の保養を超え、その場にいる人たちの意識を日常空間とは異なる世界へと連れて行ってくれるのではないだろうか。
東山は青に目覚めるにあたって、古代中国の青銅器に触発されたということがあるそうだ。中国の青銅器については、東京の根津美術館や京都市の泉屋博古館などのコレクションでご存知の方もいることだろう。
東山の《青響》(ああ、ここでも「響」という文字が使われている。やはり東山は常々音を意識していたのだろう)という作品については、描かれた木々が青銅器の「饕餮文(とうてつもん)に見えなくもない」という解説もあった。そして、それらの青銅器は、深みのある青緑を特徴としているのである。
《青響》に描かれた木々もまた、繊細な濃淡と変化に富んだ形で埋め尽くされており、細部を鑑賞するのもなかなか楽しい。
モノトーンが深みを感じさせる
さて、色彩を特徴とする中で改めて気付かされるのは、それぞれの作品を単体で見るとモノトーンのものがかなり多く、それ以外についても1枚の作品においては、それほど多くの色数が使われていない作品が大多数を占めることである。それでいて決して単調ではない。東山はむしろ深みを感じさせる境地に立っている。
それはむしろ、水墨画の世界に近いできごとである。
水墨画は墨の単色で深みのある世界を表す。「墨に五彩あり」という言い回しもあるくらいだ。むしろ、あえてモノトーンにすることで表現が可能になる「深み」が存在するのではないかとも思う。筆者はまた、これまで東山の絵画を〝モノトーン〟という視点では鑑賞したことがなかったことを正直に告白しておく。これまでに感じなかった種類の魅力がここに来て見えてきたのである。
モノトーンを極めたバッハの音楽
音楽の世界で言えば……「日曜ヴァイオリニスト」を自称する筆者としては、やはりJ.S.バッハの《無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番》終曲〈シャコンヌ〉を挙げたくなる。
ユダヤ系ポーランド人のヴァイオリニスト、ヘンリク・シェリングの〈シャコンヌ〉。
日曜ヴァイオリニストの筆者はシェリングが弾くバッハの無伴奏で育った。今改めて聴いても、まったく色あせていない演奏に感心する。
管弦楽と言わずとも、単独で演奏することがめったにないヴァイオリンはたいていの場合、ほかの「色」をもつ楽器と共演する。似ていると思われるであろう弦楽四重奏のヴィオラやチェロも、音の張りや倍音などの面でヴァイオリンとは異なる音色をもつ。ヴァイオリンとピアノのためのソナタや弦楽四重奏曲でも、聴衆はさまざまな「色」を楽しむことができるのである。
ところが無伴奏曲の場合は、まぎれもなく“モノトーン”で演奏に臨むことになる。〈シャコンヌ〉はその点、バッハの表現力の極みを実現しており、速度の緩急や音の強弱、さらには演奏する際の奏者の心の緊張と弛緩などの変化に満ちている。達人プレイヤーが演奏すれば、一人で千変万化と言いたくなるほどのさまざまな「色」を十数分の曲のそこここで表現することのできる稀代の名作である。
それはまた、五色を表した水墨画の世界や、東山の展覧会で筆者が感じた境地にも通じるのである。日曜ヴァイオリニストにとっては巨大な壁とも言える〈シャコンヌ〉についても、モノトーンの深みを心の中で探りながら演奏に臨みつつ、いつの日か人前で演奏できる日が来ることを願いたい。
会期: 2018年10月24日(水)~12月3日(月)
※毎週火曜日休館
開館時間: 10:00~18:00/毎週金曜日・土曜日は20:00まで ※入場は閉館の30分前まで
会場: 国立新美術館 企画展示室2E(東京都港区六本木7-22-2) ※京都国立近代美術館で開かれた京都展は終了
料金: 一般 1,600円、大学生 1,200円、高校生 800円
※税込
※中学生以下無料
※障がい者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は無料(入館の際に障がい者手帳を提示)
※11月23日(金・祝)、24日(土)、25日(日)は高校生無料観覧日(学生証の提示が必要)
講師: 野地耕一郎(泉屋博古館 分館長)
日時: 2018年11月10日(土) 13:00-14:30 (12:30開場)
会場: 国立新美術館 3階講堂
※定員260名(先着順、申込不要)
※聴講は無料。本展または「改組 新 第5回 日展」の観覧券(半券可)の提示が必要
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