オスカー3冠の音響エンジニアの凄技が感動を引き立てる映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』
伝説のイタリア人テノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティの生涯を描くドキュメンタリー映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』。映画の音響(既存の音源の映画用ミキシング)を務めたのは、『愛と哀しみの果て』『ラスト・オブ・モヒカン』などで3度のオスカーに輝く音響エンジニアのクリストファー・ジェンキンス氏だ。ご本人も大の音楽好きであるジェンキンス氏に、映画の見所を「音」の面から伺った。
1969年徳島市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。音楽&映画まわりを中心としたよろずライター。インタビュー仕事が得意で守備範囲も広いが本人は海外エンタメ好き。@ba...
アカデミー賞常連のエンジニアがパヴァロッティの歌声を手がける!
クリストファー・ジェンキンズは1979年以降、ハリウッドで150本以上の作品に携わってきた売れっ子録音エンジニア。映画のサウンドに既存の音源をミキシングして再構築させる“神業”技術の持ち主で、これまでにアカデミー賞・録音賞に『ディック・トレイシー』(1990年)、『ウォンテッド』(2008年)らで計5回ノミネート。そのうち『愛と悲しみの果て』(1985年)、『ラスト・オフ・モヒカン』(1992年)、『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』(2015年)で3度のオスカーを受賞している。
近年は音楽ドキュメンタリー映画への参加が顕著で、1960年代後半・アメリカ西海岸のミュージック・シーンを当時のアーティスト達のインタビューと共に振り返る『Echo in the Canyon』(2018年 ※日本未公開)や、1967~76に活動した伝説のロック・バンド「ザ・バンド」の結成から解散までを追った『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』(2019年 ※2020年10/23日本公開)、1980年代前半に一世を風靡したガールズバンドの軌跡を描いた『The Go-Go's』(2020年 ※日本公開未定)などで、その手腕を振るっている。
現在公開中の作品で、巨匠ロン・ハワード監督が音楽産業の歴史で最も成功したクラシック演奏家の人生を綴った『パヴァロッティ 太陽のテノール』も彼がミキシングを手がけた渾身の1本。主人公は、天性のように響かせる高いハ音(C)で「キング・オブ・ハイC」の称号をほしいままにして世界中の歌劇場を席巻し、瞬く間にオペラ・シーンの頂点に君臨したスター・テノール、ルチアーノ・パヴァロッティ。
劇中ではそのサクセス・ストーリーが可能な限り実際の映像を使用して再現され、さまざまな音源から“イタリアの至宝”が歌うオペラ・アリアや歌曲が集められて、最新音響技術(ドルビーアトモス)によってスクリーン上で見事に蘇り、たとえこれまでオペラに馴染みがなかった観客でさえも、映画館で心躍るような音楽体験ができるように仕上がっている。
そんな本作のサウンドをめぐる話題を中心に、当のクリストファー・ジェンキンズにLAの仕事場からリモートでお話を伺った。
スタートはロックの映画用ミキシング
——40年以上にわたって、ハリウッドの第一線で録音エンジニアとして活躍されていますね。
ジェンキンス 生まれ育ったのはコネチカット州ですが、1976年に父の友人のツテでハリウッドにある「Todd-AO」というサンドエディトリアル会社にインターンとして招かれたのがこの業界に入ったきっかけです。故郷からギターだけをもって、会社から5分くらいの場所に引っ越して、それからはがむしゃらに働きましたね。社長はクールな人で、割とすぐに私にも仕事を任せてくれるようになりました。
ジェンキンス 当時は作曲家によるスコア曲だけでなく、バンドの楽曲を使用して映画のサウンドトラックを作ることが、徐々に増えつつあった時代。そういうやり方はまだハリウッドの古い業界人のあいだでは邪道だと思われていたので、私のような新入りの若造にチャンスが巡ってきたというわけなんです。
ラッキーなことに、レッド・ツェッペリンやグレイトフル・デッド、スティーリー・ダンなどの楽曲を、せっせとサントラに入れるのを続けているうちに「ロックの楽曲を使ったミキシングならクリスがいいよ」と言われるまでになりました。
自分の仕事に自信がもてるようになったのは『愛と悲しみの果て』で最初にオスカーを受賞した頃からですが、それも居るべきときに、たまたまそこに居ただけ。単に音楽が好きでずっと続けていたに過ぎない。さまざまなジャンルの音楽について働きながら学ぶことができる、とてもいい環境に恵まれていたんです。
第58回アカデミー賞にてジェンキンスさんの録音賞を含む7部門受賞に輝いた1985年公開の映画『愛と悲しみの果て』
大切なのは音の品質ではなく、その音楽がもつ感情的な力
——近年は多くの音楽ドキュメンタリー映画に携わっていますが、やはり音楽好きとしては普通の劇映画よりも手応えが感じられる分野なのでしょうか。
ジェンキンス 大好きな分野ですが、やはり音源の種類が多岐にわたるのでドキュメンタリーのミキシングはたいへんですよ(笑)。例えば映画《The Go-Go’s》の冒頭はパンクロック・バンドとして世に出たゴーゴーズの初期の映像で、LAのライヴハウスでの彼女たちの演奏を収めたものですが、オリジナル音源のクオリティは特に酷いものでした。
ジェンキンス 映画《ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった》で、ロビー・ロバートソンがボブ・ディランと一緒にやってるギグの音も、個人向けのスーパー8mmフィルム・カメラのマイクで録音されたものでした。
ジェンキンス でもこれらの劣悪なる状況で録られた音にもパフォーマンスの素晴らしさによって、そこには宝石のような輝きが秘められている。その輝きを最悪な音源からいかにして取り出して使えるようにするかが、私たちエンジニアのスキルの見せ所なのです。
例えるならそれは、平凡な食材を使っても、一流シェフの腕次第でとびきり美味しい料理が生まれるのに似ています。大切なのは音の品質ではなく、その音楽がもつ感情的な力であって、それを損ねずにサウンドとして再構築できたときには凄い達成感が得られますね。
まるでコンサート・ホールにいるような臨場感を目指して
——映画《パヴァロッティ 太陽のテノール》のミキシング作業で、特にご自身でも“こだわった”という場面がありましたら教えて下さい。
ジェンキンス 映画の冒頭に、ブラジル・アマゾン河を下って憧れのテノール歌手、エンリコ・カルーソも100年前にステージに立ったオペラ・ハウス「テアトロ・アマゾナス」でパヴァロッティが歌う場面があります。これは同行した友人がたままた持っていたホームビデオで撮影したプライヴェートな映像で、音もモノラル録音でした。その音源を今回は、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでスピーカーを使って再生して再録音し、ドルビーアトモスの最新技術でミックスすることで、彼がすぐそばで歌っているような雰囲気を創り出すことに成功しました。
また、1990年のワールドカップ決勝戦前日に行なわれた夢のステージ「3大テノール 世紀の共演」の有名なコンサート場面も、同スタジオで同様に再録音してミキシングした結果、映画館内の音響でまるでコンサート・ホールに居るような臨場感を体験できるサウンドに生まれ変わっていますので、どうかご期待下さい!
――普段はどんな音楽を聴いていらっしゃるのですか、そしてパヴァロッティの歌唱で好きな曲はありますか?
ジェンキンス カントリー、ブルーグラス、ジャズ、クラシックからハンスジマーの映画音楽まで、何でも聴きますよ。妻はウィリー・ネルソンが大好きなので、キッチンでいつも聴いていますね(笑)。家中が音楽で溢れています。
パヴァロッティで好きな曲は、映画にも登場する〈ミス・サラエボ〉(※アンビエント・ミュージックの先駆者であるブライアン・イーノとボノやジ・エッジらU2のメンバーによる共作曲で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争戦火のサラエボで行なわれたミス・コンテストを扱った、同名テレビ番組のサウンドトラックとして、パヴァロッティをフィーチャーしたザ・パッセンジャース名義でレコーディングされ、シングル・カットもされた)。
ジェンキンス それと、月並みですがやはり「誰も寝てはならぬ」(プッチーニ:歌劇《トゥーランドット》より)です。映画のラストも、この曲を歌うパヴァロッティのクローズアップで終わりますが、あのシーンを観た瞬間、これこそすべてを超越した圧倒的な「声」そのものだと感じました。
本作は全米公開の前にNYとLAで試写を行なったのですが、そのときの観客の反応として、これをクラシック音楽に関する映画としてではなく、パヴァロッティというひとりの人間に関するドキュメンタリーとして捉えた感想が多いのが印象的でした。
録音エンジニアとしては、自分がサウンド面から観客にそういう気持ちを抱いてもらえるよう、少しでも手助けができたことを、とても嬉しく思うのです。
2019年/イギリス・アメリカ/ビスタ/5.1chデジタル/115分/字幕翻訳:古田由紀子 字幕監修:堀内修
©2019 Polygram Entertainment, LLC – All Rights Reserved.
配給:ギャガ
TOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国で近日公開
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