【6月初来日公演!】ヤヌシュ・プルシノフスキ インタビュー

キーワードは「マズルカ」、そして「自由」。ショパンと農村の音楽を結ぶカリスマ、ヤヌシュ・プルシノフスキに聞く

インタビュー
2019.05.05

ショパンのルーツのひとつである農村の音楽、マズルカを現代に蘇らせようとするムーヴメントが、近年ヨーロッパの伝統音楽界を席巻している。その中心にいるのが、ヤヌシュ・プルシノフスキというマルチ・ミュージシャン。6月に自身のバンド、ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャを率いて来日公演を行なう彼に、話を聞いた。

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写真:各務あゆみ 通訳:染谷和美
取材・文
山﨑隆一 ライター
山﨑隆一
取材・文
山﨑隆一 ライター
編集プロダクションで機関誌・広報誌等の企画・編集・ライティングを経てフリーに。 四十の手習いでギターを始め、5 年が経過。七十でのデビュー(?)を目指し猛特訓中。年に...

あの日、ショパンが聴いた音楽

1824年と25年、当時ワルシャワの高等中学校に通っていたフレデリック・ショパンは、療養と体力向上を兼ねて夏の間をシャファルニアという田舎の小さな村で過ごすことになった。ワルシャワから北西に100キロほど。クヤヴィ地方に位置するこの農村で、彼は乗馬や狩猟にチャレンジするほか、マズルカやクヤヴィアクといった農民たちの歌と踊りに出会うことになった。この年、ショパンは自身にとって初のマズルカを作曲した。

マズルカという、ポーランドの一地方に伝わるローカルな音楽の名前が、世界的に知られているのはショパンのおかげだということに異を唱える人はいないだろう。以前、取材である演奏家が「いろんな国の人が演奏することで、ナショナルな音楽はインターナショナルになる」と言っていたが、マズルカはその最たる例だともいえる。

しかし、我々がよく知るマズルカは、あくまでショパンの手によって独自の芸術にまで昇華されたもの。およそ200年前、若き日のショパンが農村で聴いた音楽は、果たしてどのようなものだったのか。もちろん想像するしかない話なのだが、そんな我々のイマジネーションを最大限に膨らませてくれるのが、ここで紹介するヤヌシュ・プルシノフスキだ。

場の空気をがらりと変えるヤヌシュのカリスマ性

ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャの新しいアルバム『フットステップス』を聴いてみよう。

チェロと太鼓によって成される、地を這うかのような野太いリズム。フルート、トランペット、あるはネイを思わせるリード楽器らによるアンサンブルは、時にクレズマーやバルカンブラスを彷彿させたり、またある時はルネサンス音楽を思わせたりもする。そしてとにかくワイルド。微妙に揺れながらも、まるで砂ぼこりを立てるようにつき進むバンドサウンドは即興的で混沌とすらしているが、同時に繊細さも感じさせ、とにかく最初から最後まで聴く者を捉えて離さない。

そして、その中に鋭く切り込み、すべてを鷲掴みするかのように一瞬にして恍惚の高みに引き上げていくのがヤヌシュの存在感だ。ヤヌシュはフィドルのほかにアコーディオンやツィンバロンも演奏し、歌も披露するのだが、何をやっても彼が出てきた瞬間に場の空気が変わるのが、音源を通じてでも伝わってくる。まるでロックスターのようなそのカリスマ性からショパンの存在を感じ取るのは難しいかもしれない。

「僕はジミ・ヘンドリックスになりたかったんだ。もっとも、十代の頃の話だけどね。友だちとバンドを組んで、伸ばした髪を振り乱しながらギターをかき鳴らしていたよ(笑)。1980年代の話さ」

インタビューに現れた彼は、予想に反して大学教授のようにジェントルな面持ち。だけど、ひと皮むけばその中から熱いものがあふれ出てきそうで、ただ才能があるだけでなく、心が強い信念の人だという印象だ。

 

「僕の両親は歌うことが好きで、いろんな歌を聴かせてくれたよ。伝統的なフォークソングから宗教曲、彼らが若いころに流行ったというタンゴなども歌ってくれた。とにかく家には音楽があふれていたね」

彼の音楽的才能は幼いころから際立っていた。ある日、兄がアコーディオンを習い始めたが、見よう見まねで先にどんどん上達したのはヤヌシュのほうだったという。ティーンエイジャーになると先ほどの話のようにロックやブルースに夢中になった。そして90年代に入り冷戦が終結し、世界にはもっといろんな音楽があるということに気づいた彼は、改めて音楽で生きていく決心をした。

「それまでは心理学を学んでいたんだけど、やはり作曲家になろうと思って、音楽学校に入ることにしたんだ。そこではクレズマーやジプシーの音楽を習ったり、ショパンの曲を演奏したりもした。ストリートで演奏してお金を稼ぐ体験もしたよ。とにかく、自分の世界が音楽によって広がっていくのが何よりの喜びだったんだ」

そうやって世界の音楽を貪欲に学ぶ彼に、運命の出会いがやってくる。

いちばん刺激的な音楽は、近くの農村にあった

「アンジェイ・ビュニコフスキという民俗音楽の研究家がいるんだけど、彼が撮影した『ラスト・ヴィレッジ・ミュージシャン』という映像作品を観て、それが衝撃だったんだ。小さな農村のミュージシャンたちによる演奏なんだけど、一体何がメロディで、どのフレーズがどう組み合わさっているのか、まったくわからない。だけど、そこには体が震えるような強いエネルギーがあったのさ」

その音楽こそが、マゾフシェ地方に伝わる音楽、マズルカだった。若き日のショパンを魅了し、後の彼の創作活動に多大な影響を与えた音楽である。

「音楽の勉強を進める中で、僕はより自由で即興性のある音楽を求めるようになったんだけど、そのすべてがここにあった。いちばん刺激的な音楽は、実は僕のすぐ近くにあったのさ。とにかく、僕はアンジェイに『どこに行けばこのようなミュージシャンに会えるんですか?』と聞き、田舎の村を訪ねては彼らのレパートリーを習うことにしたんだ。フィドルもこのときに始めたんだよ」

しかし、農村ではミュージシャンは絶滅寸前といっていい状態だった。若者は音楽をやらず、年老いた演奏家たちの中には、すでにリタイアしている者も多かった。つまり、農村のマズルカは忘れ去られていた存在になっていたのだ。ヤヌシュにとって、今度は作曲家になることよりも、彼らの音楽を再生させることのほうが重要になっていった。そうして彼はレパートリーを少しずつ増やしては仲間たちと録音し、アルバムとして発表していく。

アンジェイによれば、「マズルカとは奴隷の音楽。いわばブルースのようなもの」だという。「そうだね。確かにブルースと同じパワーを感じるよ」とヤヌシュ。「農村の音楽には、いろんな要素が入っているんだ。例えばポーランドを通り過ぎていった人たちの記憶。世界地図を見てごらん。ポーランドはヨーロッパの中心にあるだろう? 昔からこの国は東西南北からやってくる人々のミーティングポイントで、さまざまな交流があった。だから逆にいうと戦場になることも多かったし、時には戦争で文化ごと滅ぼされてしまうこともあった。そんな、いちどポーランドから失われてしまったものも、音楽を通じてミュージシャンの記憶の中にはあるような気がするんだ」

ヨーロッパ中から注目を集めるマズルカの祭典

もちろん、農村マズルカは陰の部分だけではなく、祝祭的な雰囲気も併せ持っている。そして、ショパンの音楽を愛する人にとっては、彼のインスピレーションの源を知る格好の素材となるに違いない。

「僕はポーランドの農村の音楽をやっている。そのうえでショパンの音楽を聴くと、『あ、このフレージングやアクセントは、ここから引っ張ってきたんだな』とわかる瞬間があるんだ。すごいと思わないかい? もちろん、ショパンの場合はいろんな装飾音を使ったりして凝っているけど、基本的には僕たちと同じ音楽言語を使っているのさ」

農村マズルカの世界をより多くの人とシェアし、後世まで伝えるために。その手段としてショパンと絡めることはもっとも有効で、しかも筋の通ったものである。ヤヌシュは2010年、ショパン生誕200年であり同時に5年に一度のショパン国際ピアノコンクールが開催されるその年に、「ワールド・オブ・マズルカ・フェスティバル」というイベントをスタートさせた。

「僕たちポーランド人の文化なのに、忘れられているもの。そこにスポットを当てること」をコンセプトにしたイベントで、そこには彼が「ヴィレッジ・マスターズ」と呼ぶ農村の音楽家を必ず招いて「本物」の農村マズルカを披露している。

「ショパンの音楽は構築的で美しい。だけど、その背景には何があるかご存知ですか? あなたがサロンで聴いている音楽とヴィレッジ・マスターズたちのワイルドで即興的な音楽、実はあまり変わらないかもしれませんよ? 僕たちはいつもそう問いかけているんだ」

「ワールド・オブ・マズルカ・フェスティバル」は年を追うごとに注目度を増し、現在ではヨーロッパ中のワールド・ミュージック・ファンやミュージシャンが大挙して押しかけるほどになった。いっぽう、ヤヌシュはクラシックのピアニストと共にショパンの音楽を掘り下げる試みも行なっている。

そして、この6月には自らのバンド「ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャ」を率いて待望の日本ツアーを行なうことになった。中でも注目すべきは6月5日~9日に行われる「北とぴあポーランド&ショパン祭」。ヤヌシュのバンドは9日に登場し、ショパンコンクールで入賞経験のあるピアニスト高橋多佳子をナビゲーター/共演者として迎え農村マズルカを披露する。いわば、ヴィレッジ・マスターズのいない日本版「ワールド・オブ・マズルカ・フェスティバル」といった趣か。

「高橋さんはショパンの音楽への想いはもちろん、ポーランドへの造詣も深い。僕と同じ風景、同じ建物を見てきた人なんだという気がする。彼女は彼女で、自分が今までに師事した先生たちからは得られなかったストーリーを僕との会話から感じたみたいだ。彼女が僕たちの演奏するマズルカをピアノに移し替えたら、きっと十代のショパンが弾いたであろう演奏が再現されるんじゃないかと思うんだ。6月のコンサートは期待してほしいな」

農村の音楽はダンスとともにある

あとひとつ、北とぴあでのイベントで注目したいのが、6月7日に行われるフォークダンスのワークショップだ。ここではヤヌシュたちが講師となり、しかも伴奏までしてくれる。実は、このダンスこそがマズルカの秘密を解く鍵なのだ。

「例えば、マズルカのリズムを難しいと考えているピアニストも多いと思う。それはなぜかというと、音から入ってしまっているから。音として捉えると、どうしても頭で考えてしまうんだ。農村の音楽はダンス、つまり身体表現と共にあるということを忘れないでほしい。このワークショップはピアニストが参加すると面白いかもしれないね」

ダンスで考えると、複雑なリズムにも説明がつく。実際、ヤヌシュたちの演奏を聴いていると、メンバーそれぞれが自由にリズムを取って混沌としてるのになぜか合っているような、不思議な感じがするのだが、ヤヌシュは「秘密はとてもシンプルさ」と笑う。

「踊りというのは感情が体を通して表れたもの。感情の表現方法は人それぞれ違うけど、みんなで踊ると一体感が出るよね? それと同じで、僕たちが気持ちのままに鳴らす音、そしてリズムが、バンドになるとひとつに聴こえるんだ。シンプルだけどミステリアス。ショパンはそんな感じを両手で表現していたんだと思うよ」

マズルカは自由のある音楽

現在、ヤヌシュを中心としたポーランドの伝統音楽を復興させる動きはヨーロッパの音楽界でひとつのトレンドになっていて、若いミュージシャンたちはこぞって農村の音楽を習っている。ヤヌシュにとってそれは嬉しいことでもあるが、彼にとってはまだ生きているヴィレッジマスターズからできるだけ多くのものを吸収することが何より大事なこと。

「おじいちゃんやおばあちゃんのところに行って、文化を発見してくるんだ。音楽は農村のことを知り、文化を断絶させないためのひとつのツール。若い人たちは『はい、一緒にマズルカをやりましょう』というだけではなく、その音楽を自分の人生に照らし合わせ、自分の創造物として使っていってほしいと願っているよ」

そういう話を聞いていると、やはりヤヌシュもショパンと同じ血を引いている音楽家なのだと思う。農村で聴いた音楽を自分の人生の中でクリエイトしていったのは、ショパンその人にほかならないからだ。

「ショパンが確立した音楽は、200年の時を経て農村とは切り離されてしまったけれど、もとをたどればここに戻ってくる。そしてどちらにも感じるのが、自由さ。即興の自由、そして新しいものを作り出していく自由。そうしたところも、今回の公演で感じ取ってくれたら嬉しいな」

音楽、そしてダンス。このほか、北とぴあのイベントではポーランドの伝統文化である切り絵のワークショップや料理教室も開催される。まさにポーランドの文化を知る絶好の機会なので、ショパンのファンならずともぜひチェックしてみてほしい。

北とぴあ ポーランド&ショパン祭
コンサート:ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャ with 高橋多佳子

日時 6月9日(日) 開演 16:00 マルシェ開場 12:00/コンサート開場 15:30
開場 
北とぴあ つつじホール

チケット料金 全席指定 4,500円(北区割引 3,800円)
東京都北区にお住まいの方は、割引価格にて購入できます。割引での購入は1人4枚まで。北とぴあ1階チケット売場のみ対応いたします。
北区在住を確認できるもの(免許証、保険証など)をご呈示ください。

チケットの購入方法
(1)北とぴあ1階チケット売場にて購入 10:00-20:00
臨時休館日は10:00〜18:00 全館休館日は休業
(2)ホームページにて

イベント公式サイト http://www.mplant.com/poland/index.html

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