口笛、ハープ、スケートが奏でる極上のエチュード
元オリンピック選手で研究者の町田樹さんによる「エチュードプロジェクト」。その第1弾として、許諾も使用料も必要なく、誰でも自由に滑れるフィギュアスケート作品《チャーリーに捧ぐ》がYouTubeに公開されました。使用されている音源は、口笛奏者の青柳呂武さんとハープ奏者の小幡華子さんによるオリジナルです。
そんなスペシャルなコラボレーションを果たした3人の特別対談が実現! 前編ではコラボレーションのいきさつや音源制作秘話を、後編では映像収録の模様や音楽と身体表現の魅力などについてお話しいただきました。
グリッサンドとグリッサード――「滑る」ことの魅力
——小幡さんは、幼少期からずっとハープを学ばれていたのでしょうか?
小幡 実は、私も呂武くんと同じくヴァイオリンを先に習い始めました。幼稚園の頃に桐朋学園の音楽教室でヴァイオリンを始めて、ハープは中学1年から。母がハープ奏者で、家に楽器があったので自然な流れで弾き始めました。ヴァイオリンは伴奏者がいないと音楽として完成しない部分がありますが、ハープはピアノなどと同じで、ひとりで演奏できます。ハープを選んだのは、そこに魅力を感じたからかもしれません。
町田 ハープの音の魅力はどんなところですか?
小幡 やはり、グリッサンド(伊glissando/音階的な走句を滑るように急速に奏すること)でしょうか。弦の上に指を滑らせるハープならではの奏法で、スケール(音階)だけでなく、ペダルを使うことでコード(和音)のグリッサンドも演奏できるところが魅力ですね。
町田 グリッサンド奏法にはとても幻想的な響きがありますね。バレエにも、同じく「滑る」という意味の、グリッサード[仏glissade]というステップがあります。これは滑るように、動きと動きをなめらかにつなぐステップです。バレエなど陸上のダンスで「滑る」ように動くためには、脚を細かく動かさなくてはならないけれど、スケートではエッジに乗るだけでどこまでも滑っていける。ハープのグリッサンドという表現技法が、フィギュアスケートの動きにガチッとはまるのだと思います。
小幡 フィギュアスケートのプログラムに、ハープが使われていると嬉しくなりますね。「あ、ハープだ!」って、気分が上がります(笑)。
青柳 音楽と動きの間に、近い感性が働くのかもしれないですね。
踊りを通して音楽を「見る」
——映像収録は、5月3日に都内のリンクで行なわれました。見学したときの感想を教えてください。
青柳 生でフィギュアスケートを観るのは初めてでしたが、音楽が始まる前から、すでにオーラがすごくて。雑念が全部フッと消えて、魅了されてしまいました。正直、1度目の通しの演技を見たときどう感じたのか、よく覚えていないんです。あまりに美しすぎて、言葉を失っていました。
2度目の演技では、自分たちの音楽がどのように演技と結びついているのかを意識して見たのですが、まるで物語が紡がれているような感覚があって。湖のほとりに妖精が現れて踊っている、そんなイメージを重ねながら見ていました。
小幡 私はお話をいただいた時点から、さまざまなフィギュアスケートの動画を観ては「ここでジャンプを、ここでスピンをされるのかなあ」と妄想を膨らませていたので、収録当日は、胸を高鳴らせながらKOSÉ新横浜スケートセンターにうかがいました。自分の音での演技を見る機会って、実はすごく少ないんです。オペラやバレエで演奏させていただく機会も結構あるのですが、オーケストラピットに入っていて舞台は見えませんから。今回は拝見できたのが嬉しくて、感動を何日も引きずってしまいました。
町田 私はその妄想をちゃんと超えられていましたか?(笑)
小幡 はい、遥かに超えて(笑)。最後のグリッサンドのところなど想像どおりの動きで、本当に美しかった。感動してしまいましたね。
町田 ピボットという、軸足のトウをついて渦を巻くように回っていくシーンですね。スヌーピーのアニメにも出てくる動きです。
——音楽がただの伴奏ではなく、スケート、口笛、ハープが三重奏のように、互いを際立たせあっていたのが印象的でした。たとえば冒頭の口笛独奏のシーンなど。
町田 口笛のソロは、僕がオーダーしました。呂武さんの口笛の音数に合わせて、スピードや方向を変えながら、さまざまなステップを組み込んでいます。そこに、ふたたびハープが優しく入ってくると、心が動く。あのシーン、僕は大好きです。
舞踊の振付は、音楽に影響を受ける部分が大きいので、楽器の特性を知ることは、表現の幅をより広げる方法のひとつだと考えています。一方、踊りを通して「音楽を見る」と、異なる聴き方や解釈が可能になり、もっと味わうことができると思うのです。たとえば、20世紀初頭のバレエ・リュスの時代は、音楽家と舞踊家のコラボレーションがもっと活発に行なわれていました。リュスは音楽やバレエの傑作を多く残し、今もなお多くの人から愛され続けています。でも、残念なことに、今は音楽と身体表現が分離してしまっているように思います。
青柳 音楽と身体表現が、これからもっと親密になっていったらいいですね。今回のような企画は、音楽家にとって非常に勉強になる。自分の音楽に踊りが加わることで、さらに高貴な作品に昇華されたことが、すごく感動的だったので。
町田 今回の作品は、演技者のスキルや表現力の向上を目的とした「エチュード」です。フィギュアスケートにこの上なくフィットする口笛とハープとコラボすることで、「音の波に乗る」ことをしっかり学べる、優れたエチュードに仕上がった気がします。
青柳 僕は今回、何かダンスをやってみると音楽の捉え方も変わるかなとあらためて感じて。今すごく意欲が高まっています。とりあえずジャズダンスか何かを習ってみようかな。
町田 いいですね!
小幡 私はぜひ、リンクで演奏してみたいです。
町田 ぜひ! ピアノやヴァイオリンは過去に例がありますから。
小幡 ところで、私たちは録音に4時間もかかったけれど、町田さんは通し1回の演技でほぼ収録を終えられて、さすがだなと思いました。
町田 フィギュアスケートは一気に全身の力を放出するので、一発勝負です。1回で筋線維の中のエネルギーが空になってしまうと言いますか。今回の作品は簡単な3回転ジャンプしか入れていないので、現役時代の私なら続けざまに2、3回できたと思うけれど、競技を引退して8年経っていますから……。年始から体力づくりをして、ようやくあそこまで持っていきました。呂武さんはレコーディング後に、「僕らはちゃんと音楽をやったから、あとは任せましたよ」なんて、かなり挑戦的な言葉を投げてきたけれど(笑)。
青柳 そんな言い方はしていません(笑)。ブランクなど一切感じさせない、ひとりの表現者として一流の演技をされていて、本当に圧倒されました。
町田 今回のプロジェクトの音源作りでは、編集作業の過程で一流の音楽エンジニア兼エディターである梶篤さんと矢野桂一さんにもお力添えをいただきました。お二人もこのプロジェクトの意図を完全に理解して下さり、アイスリンクの場内でも最高のクオリティで聴いていただける楽曲に仕上げてくださいました。これだけ素晴らしい音楽をつくってもらって、演技で失敗したらどうにもならないから、プレッシャーはありましたけれど。口笛とハープとスケートのハーモニーが奏でられて、僕としては大満足です。お二人とのコラボレーションは、至福のひとときでした。お二人には本当に感謝しています。今日はありがとうございました。
エチュード#1−4 《チャーリーに捧ぐ》指定音源(ミュージックビデオ)
エチュード#1−1 《チャーリーに捧ぐ》演技
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