インタビュー
2020.04.10
藝大、インディーズからメジャーデビューまで

気配、テクスチュア、自由さ……角銅真実の稀有な音楽性は、どのように育まれたのか

ユニバーサル・ミュージックよりメジャーデビューした、角銅真実さん。アルバム『oar』では、自身の声を全面的に生かし、若き気鋭の演奏者たちと繊細で音の手触りが感じられるような世界観を構築しています。
角銅さん独自の音楽性が培われるに至ったバックグラウンドについてお伺いしました。

聞き手・文
小室敬幸
聞き手・文
小室敬幸 作曲/音楽学

東京音楽大学の作曲専攻を卒業後、同大学院の音楽学研究領域を修了(研究テーマは、マイルス・デイヴィス)。これまでに作曲を池辺晋一郎氏などに師事している。現在は、和洋女子...

写真:ataca maki photography

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音楽性の原点と打楽器科を志すまで

ひどく驚いた。角銅真実(かくどう・まなみ)がユニバーサル ミュージックからメジャーデビューするという話を耳にしたとき、まずそう感じたことを思い出す。

東京のインディーバンドシーンを最前線で牽引するceroのサポートメンバーとしての活動や、音楽的な盟友である日本トップクラスのジャズドラマー石若駿との共演例をあげるまでもなく、彼女の音楽性や実力はもちろん、折り紙付き。そこに疑いの余地はない。ただソロ活動としては、インディーなシーンで知る人ぞ知る、独自の音楽性をもったミュージシャンとして、息の長い活動をしていくタイプなのだろうと思っていたのだ。

1月22日に発表されたメジャーデビューアルバム『oar』(オール)でも引き続き、角銅は誰かにおもねることなく、自分が感じ、考えるがままに音を紡いでいるかのよう。手触り、質感、テクスチュア(織り地)……このアルバムのなかに含まれる音すべてに味わい深い触感があり、囁くような繊細極まりない響きも、実に愛おしく感じられる。

角銅真実(かくどう・まなみ)
長崎県生まれ。東京藝術大学 音楽学部 器楽科 打楽器専攻 卒業。
マリンバをはじめとする多彩な打楽器、自身の声、言葉、オルゴールやカセットテープ・プレーヤー等を用いて、自由な表現活動を国内外で展開中。
自身のソロ以外に、ceroのサポートや石若駿SONGBOOK PROJECTのメンバーとしての活動、CM・映画・舞台音楽、ダンス作品や美術館のインスタレーションへの楽曲提供・音楽制作を行っている。
2019年2月、都内カフェにて初めて「うた」にフォーカスしたワンマンライヴを開催。その5か月後にはフジロックフェスティバルに自身の名義で初出演を果たした。

プロフィールの1行目に書かれた「東京藝術大学 音楽学部 器楽科 打楽器専攻 卒業」という文字を目にすれば、前述した触感のある音という特徴は、打楽器奏者というバックグラウンドあってこそのように思われる。ただし藝大という存在は、彼女の音楽を語る上でかかせぬ要素であると同時に、誤解のもとになりもする困ったものだったりする。

そもそも義務教育の小・中学校だけでなく、高校でも学校にあまり行っていなかったというぐらい、彼女にとって学校での集団生活は心地よいものではなかった。打楽器とは中学の吹奏楽部で出会うも、そのときには縁遠いまま。それでも音楽好きの父親の影響によって小さい頃から音楽は好んで聴いていたという角銅。高校時代に、とりわけ惹かれたのはUAだった。

「特に〈そんな空には踊る馬〉とか〈踊る鳥と金の雨〉が入っているアルバム(※2004年発売の《SUN》)をすごく聴いてて。何か音楽を作るときは、どこかに繋がって作るっていうことはないんですけど、とにかくそのアルバムが好きだったので、身体のどこかに入っていると思います」

当時UAは、平日の午前に放送されていたNHK教育(Eテレ)の番組『ドレミノテレビ』(2003~06)に出演中。角銅はこの番組を通して、“日本廃品打楽器協会会長”という肩書を謳う打楽器奏者の山口ともに出会う。

何でも楽器として演奏してしまう山口の“自由さ”に大きく心が動かされ、さらに運良く地元長崎で彼の生演奏に触れる機会をもったことで、角銅は打楽器を本腰を入れて学びはじめたのだった。地元で先生に習いながら藝大を目指し、受験前には上京して東京藝術大学 助教授(現在は准教授)の藤本隆文からもレッスンを受けた。

「私が初めて通ったときは、マリンバの叩き方とかマレットの持ち方とかも、ままならないままで。ポーッとしてたし『この子、大丈夫かな?』とたぶん思われたでしょうね(笑)。心配かけたと思いますね」

残念ながら準備が足りずに1年目は一次試験で落ちてしまう。ところが驚かされるのは、そこから藤本氏に相談することもなく、いきなり東京に引っ越して浪人生活を決めたことだ。

「そのときの話は、大学に入ってから何度もされました。『こいつ出てきちまってよ!』って、(藤本先生は)いろんな人に言ってましたね」

ロックに夢中になった大学時代

藤本から紹介された和田光世氏のもとでも学び、2回目の受験で藝大に無事合格。こうして音大生となった角銅だったが、入学までひとりでの演奏しか経験がなかったため、アンサンブル(合奏)ではかなり苦労をしたという。特にオーケストラという形態には、はじめはまったく馴染めなかった。少しずつ疑問も出てきた。

「年齢的にも、権威主義的なことを拡大して感じてしまう時期だったっていうのはあるんですけど。オーケストラだと、指揮者がいて、それぞれに会社的な役割があって。舞台構造も客席と舞台に段差があって、聴き手との関係がなんとなくフェアじゃない感じ。受け取るだけの人と、与えるだけの人という構造に思えてしまって。ただ、構造は構造で、その前に人の想像力や信頼関係というコミュニケーションがあるわけですから、もっと穏やかに捉えていますが、自分がこれから社会に出て、どういうふうに音楽をやっていこうかって迷っていたときでもあったから尚更そう捉えてしまっていたところもあるのですが……学生の頃はそこをとてもむずがゆく感じていました

前述したように、山口ともの“自由さ”に憧れ、打楽器をはじめた角銅にとって、演奏者と聴衆に、そして演奏者のなかにもヒエラルキーがあることに違和感を覚えたのは、自然ななりゆきだったといえる。そもそもクラシック音楽の儀礼的な約束ごとにも納得がいかなかった。

「毎回同じタイミングで拍手があって、また出てきてお辞儀して、曲が始まって……。他の音楽の世界や歴史をまだ知らずに、クラシックを中心に大学で勉強しているっていう状況の中で、先の見えない堂々巡りのような感覚がありました。クラシックに限らず、現代音楽と呼ばれている音楽のジャンルにも同じように感じていました。

逆に、そのとき一番憧れていたのは“ロック”と“漫画”なんです。プレグレッシブ・ロックのキング・クリムゾンがすごく好きだった。あとゴングをめっちゃ聴いていました」

アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』(1969)より

角銅は別のインタビューでも、“クラシック以上にロックからの影響が大きい”ということを語っているのだが、アコースティックサウンドを基調とする彼女の音楽からは意外に思われるかもしれない。だが、初期のキング・クリムゾンやゴング(元ソフト・マシーンのデヴィッド・アレンによるバンド)を“自由さ”、“手触り感”、“余白”といった観点に注目してお聴きいただければ、角銅の音楽と通ずるように感じられるはずだ。

「そのときプログレから感じた自由さみたいなものって、たぶん、ヒップホップなどのストリート・カルチャーにも似ていると思うんです。表したい新しいものに向けて縦横無尽に何か身の回りのものをどんどん取り入れるというような。漫画もそうじゃないですか。ルールも自分で決められるような。

だけど、例えば、ヤコブTVのめっちゃ格好いいやつ。パーカッションとサックスと録音だったかな? あれがすごく好きなんですけど!」

ヤコブTV作曲《Grab it!》(1999)
オランダのポスト・ミニマルの作曲家で、アヴァン・ポップという方針を提唱。こうした独奏者(※さまざまな楽器のバージョンが作られている)とブーンボックス(※いわゆるラジカセ)のための作品を多数手掛けている。これは代表曲のひとつで、声のパートはドキュメンタリーの音声を切り貼りして作成されている。

「けれど、このサンプリングの手法は、彼がそれを作ったときは自然な方法であり、ある種切実なものであったろうに、再演という形でいろんな人が演奏したとき、途端になんだか音楽の意味が変わったように思っちゃったんです。音楽の文脈って、その文化を培ってきた人たちの生き方でもあると思うんですよね、再演という形になったときにどうしてもそことのズレが気になって。手段や面白みだけがクローズアップされて、手段が手段のままになっちゃうというか

鳴っている音自体が素晴らしいものであったとしても、それがクラシックや現代音楽という文脈に載ると、次第にフェアではなくなってしまう。そうした感覚があったからこそ、彼女はいわゆる現代音楽的なサウンドには惹かれつつも、音楽家としては異なる道を探しはじめ、演奏だけでなく自分で音を紡ぎ出すようになっていった。しかし、それも順風満帆なものではなかったようだ。

「学生のときから作品づくりとか、仕事やライヴもいろんな人とやっていたんです。でも、一回休むというか、そういうことを一切やらずにいた時期が半年ぐらいあった。考えたり知らないものを知る時間が必要でした。自分の中で一本通った筋が見えないと、どうしても一音も出せない。『自分はどうしたいんだろう?』って、ただなんか探していましたね。やっぱり自分の言葉がない以上、何も発せない……っていうのがありますね」

「一音も出せない時期」からの模索と恩師の存在

こうした状況にあっても彼女に理解を示してくれたのが、藝大で師事した打楽器奏者の高田みどりであった。

「どうしていいか、いま何をやるべきなのかわからなくなって、何も準備せずにみどり先生のレッスンに行ったことがあります。そのとき、『演奏するには何がともあれ身体が大事で、それからここは鍛錬の場だから』といって、身体の動かしかたや基礎に集中したり、また、『鍛錬とか勉強という意味では、学校ではクラシックから学べることがあるよ』と言ってくださったんです。『区切りっていうか分けて、それはそれでやればいいんじゃない』って」

そもそも高田みどりは、1980年代初頭に、打楽器奏者で構成されたムクワジュ・アンサンブル(1stアルバムは久石譲のプロデュース)のメンバーとして、ハウス、アフリカ音楽を取り入れたポストミニマルの名盤に携わったり、ソロアルバム『鏡の向こう側』が近年海外で再評価をなされたりする音楽家だ。

「私が興味ある人を、現代音楽やロックの歴史に文脈づけて説明してくれたりもしました。あと、自分が興味のあることを調べたら必ずといっていいほど、みどり先生の名前があって『ここにもいた!』みたいな。それこそ、ジョン・ケージや、ブライアン・イーノさんともお仕事されているし。心配かけた生徒だっただろうに、いろんなことを教えてくださいました」

フリージャズやプログレにも感化された作曲家としての顔をもっている高田だったからこそ、角銅の思いが曲づくりをすることを積極的に応援してくれていたのだろうし、学内演奏会で披露する楽曲についても的確なアドバイスをしてくれた。

「いろいろなきっかけになったのはヴィンコ・グロボカールの《大地についての対話》という曲でした。そのときは、みどり先生の作曲した《BA・ZA・RA》っていう和太鼓ソロの曲があって、2曲セットで演奏したんですけど……」

実はこのときの経験が、彼女にとって大きなターニングポイントとなる。

「このグロボカールの曲は、五線があるわけではなくて、素材と音価(音の長さ)だけ書いてあるんです。楽器の指定もなくて、これは木とか金属とか素材の指定だけされている。“(楽器の)スタンドを使ってください”とか“立って演奏してください”とかの指定もなかったので、そのとき初めて座って演奏したんですよ。西洋楽器って(特に独奏は)だいたい立ってやることが多いので、座るっていう発想がなかったんです。この曲をやって良かったのは、そういう風に自分の中で曲を表現する、再現するにあたって、“自由さ”ではないと思うんですけど、自分のやり方で組み替える、何か提案ができるんだっていうことに、そのとき初めて気づいて……」

グロボカール作曲《大地についての対話》(1994)

「そのとき、ホールに芝生シートを敷いたんですよ。
何かそういう自分の好きな、美しいものの中でやってみるっていうのも初めての体験で。

打楽器奏者から自然に歌うように

こうして良き師に恵まれ、大学を卒業。自分がどんな音楽をやっていくのかなど、まだまだ自分のなかで“筋が通っていない”こともあったが、音楽は続けていく角銅。さまざまな活動をするなか、同級生と組んだユニットBUNKAKUで、パフォーマンスのなかに歌というか声のような要素が含まれるようになる。ceroのサポートでは、コーラスも担当したりと、次第に歌う機会が増えていった。歌うことに抵抗や、ためらいはなかったのだろうか。

「なかったです。自然にそう(歌うように)なりました。まず声は、私にとって打楽器というか楽器なんです。いろんなことをやっていても、身の回りのものから音を出して音楽にするように、声や、言葉でさえも音楽の素材になるんだっていう喜びというか、楽しさみたいなものがすごく大きくて。そういうふうに歌のことを捉えていますね」

ジャズドラマー、石若駿との共演 EP《SONGBOOK》(2016年12月)より

角銅のこうした活動を見ていた藝大の3学年下の後輩でジャズドラマーの石若駿から、ある日連絡がくる。「作った曲に詞をつけて歌ってほしい」という声に応えたことで、2016年から、いよいよ角銅はソロのシンガーとしての顔をもつようになっていく。そしてインディーズで、2017年7月にファーストアルバム『時間の上に夢が飛んでいる』を、2018年8月にセカンドアルバム『Ya Chaika』を発表。2020年1月のサードアルバム『oar』でメジャーデビューを果たしたわけだが、そのきっかけは何だったのか。

「メジャーとかインディーズとか、まったく考えてなくて、だからこれまでもこれからもスタンスはまったく変わらないのですがお話をくださったユニバーサル・ミュージックのスタッフの方との出会いは大きなものでした。ライヴによく来てくださる方だったんですけど、ずっと聴いてくれている人が音楽を作ることに力を貸してくれるとか、『一緒に仕事しませんか』と言ってくださることがすごい嬉しかった」

メジャーデビューアルバム『oar』

『oar』角銅真実

発売中
価格:3,300円(税込)
UCCJ-2176

そうして、今回の『oar』は作られることになったのだが、話をもらった時点で曲自体は既にできていたという。例えばトラック3の〈Lark〉は、前述した同級生とのユニットBUNKAKUでも演奏していたレパートリーだ。

この楽曲を、石若駿(ピアノ、打楽器)、中村大史(バンジョー、マンドリン)、西田修大(アコースティックギター)、マーティ・ホロベック(アコースティック・ベース)、光永渉(ドラムス、手拍子)、中藤有花(ヴァイオリン)、巌裕美子(チェロ)、そして角銅真実(歌、アコースティックギター、グロッケン、チューブラーベル、シンバル、ティンパニ、ドラム)自身が加わり、何重にも音を重ねていくことで、まったく印象の異なる、奥行きの深い音楽へと変貌させてしまった。

他のトラックでは、曽我大穂(声、ハーモニカ)、大和田俊(効果音)、サックス奏者の大石俊太郎(フルート、クラリネット、バスクラリネット)、Ensemble FOVEのメンバーとしても注目を集める伊藤亜美(ヴァイオリン)、安達真理(ヴィオラ)といった演奏者に加え、網守将平がストリングス・アレンジを手掛けている。

「一緒にやってくれている皆さんは、よく一緒に演奏する方々です。前回(※アルバム『Ya Chaika』)は、もうちょっと空間や状況を切り取るようなアルバムにしたかったんですけど、今回(※アルバム『oar』)は何よりその“歌”を浮き立たせるためのアンサンブルの構築をしたかったので、前回より、音楽と奏者の距離が繊細だった気がします。たぶん、みんなですごく耳を澄ませてもらったと思います」

前述したような楽器群が重ねられていても、角銅の音楽には常に余白の余裕があり、そこがまた非常に美しい。歌を浮き立たせているとはいえ、それ以外の音は伴奏にまわるというよりも、歌のメロディと分かち難く有機的に一体化しているかのようだ。

「自分のこともみんなのことも楽器だと思っています。どんな音楽でも作った人の気配が、その気配のテクスチャーみたいなところに、耳っていうか、心を一番もっていかれる気がします。その音の手触りみたいな楽しみというか――」

角銅の言葉通りだが、彼女の音楽こそ、まさに気配のテクスチャーに包まれているように思う。例えばクレジットをみると、いわゆる本職のピアニストはおらず、ピアノを弾いているのは角銅自身と石若駿のふたり。これが弾き手の気配や手触り感のあるサウンドを響かせており、気付けば胸に迫ってくるのだ。

彼女がインタビューの終わり際、「私はずっと楽しく音楽やってたいです」と言って、自然な笑い声を響かせていたのが、なぜだか強く印象に残っている。音楽家として至極当たり前のことを言っているはずなのだが、冗談でもなく、力んでいるわけでもなく、自然体で屈託なくこう言える角銅が眩しかった。

聞き手・文
小室敬幸
聞き手・文
小室敬幸 作曲/音楽学

東京音楽大学の作曲専攻を卒業後、同大学院の音楽学研究領域を修了(研究テーマは、マイルス・デイヴィス)。これまでに作曲を池辺晋一郎氏などに師事している。現在は、和洋女子...

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